![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/134175786/rectangle_large_type_2_360437aaf742489e0ed6c4b8ce450606.png?width=1200)
ショートショート 「悩み」
まだ俺を訴える奴がいるとは信じ難い。
何とも無駄なことを。
会長室で、弁護団のリーダーを務める子飼いの顧問弁護士から裁判勝利の電話を受けると静かに受話器を置いた。
すぐに裁判担当である本社の総務部長が裁判結果の報告をしたいと秘書を通して申し出てきた。
顧問弁護士が誰よりもまず最初に俺に直接報告することを知っているし、裁判に勝つことなど慣れっこになっているはずなのに、この総務部長はわざと勝利に興奮した様子を見せてくる。
そういった下手な芝居をしながら、さらに今夜総務部で祝勝会を設けたので参加してくれないかとお願いをしてくる。
なかなか可愛げのある奴である。
まあ、我がコンツェルングループ本社の下っ端役員かグループの中堅企業で代表取締役にしてやってもいいだろう。
地獄の沙汰も金次第。
裁判なんて金に裏付けされた強力な弁護団を持っている奴が勝つのだ。
会社のやり方、つまり俺のやり方を理不尽だと訴えて来た奴らをこれまでも俺の強力な弁護団が完膚なきまでに叩きのめしてきた。
裁判の祝勝会など飽き飽きしていたが、総務部長の顔を立てて出てやることにした。
ちょっとだけ顔を出して全員分の支払いを先に済ませて早々に切り上げようとすると、総務部長が追いかけてきて頭を床に擦り付けんばかりに必要以上の感謝の念を表す。
その頭を見下ろしながら、俺はこいつのように他人におべっかを使う人生でなくて良かったといつも思う。
他人は踏み台にするもので、踏み台にされるものじゃない。
その後、何となく一人でゆっくり飲みたい気分になった俺は、専属運転手に行き先を告げた。
こういう時はこのバーに限る。
ロビーで俺を見かけたフロント係から連絡が行ったのであろう、バーの入口前に着くと同時にその重い扉が内側から開いた。
数年前に俺の会社が乗っ取った、この地域で1番格式が高い老舗ホテルにあるバーである。
当時も俺特有の悪どい策を練り、笑ってしまう程安い値で買い叩いたものだった。
「いらっしゃいませ、よくおいでいただきました。光栄です」
その前社長が扉を開けながら、媚びた顔つきをして俺を丁重に迎え入れる。
個人の財産全てを投げ出してホテルを守ろうとしたが結局失敗し手放すこととなった上に個人的にも破産して生活費にさえ困っていた、このお人好しで創業家一族の前社長を、このバーのマネージャーとして安月給で置いてやっているのだが、60歳手前で雇ってもらえたことに心の底から俺に感謝しているらしい。
お人好しの上に馬鹿が付くほどである。
先に立って一番奥にある俺専用VIP席に案内するそのハゲかけた後頭部を眺めながら、つくづくコイツのような人生でなくて良かったという気分を味わえることもまた、俺がこのバーに来る楽しみの一つでもある。
俺の親父は小さな会社を作ると、決して綺麗なやり方とは言えない方法でこの地域有数の地場企業にまで成長させてくれた。
その企業を受け継いだ俺は、企業買収などを繰り返して多角的経営に乗り出し、今ではこの市とその近辺も含めたこの地域一帯の経済を支えていると言っても過言ではない程の一大コンツェルンに仕上げた。
そのためには、親父以上に悪どい事をしてきたのも事実だ。
相当恨みも買っているはずだが、ここまで会社が大きくなり大成功者となった俺に文句を言えるやつなどこの地域にはいない。
いたとしても法的な面で徹底的にやっつけるし、経済的な面でも追い詰めてこの地域にいられないようにしてやることなど今の俺の力を持ってすれば何ということはない。
今は、コンツェルンの会長として本社の社長になったばかりの息子を指導しながらグループ企業全体に目を光らせているところだ。
しかし、頼もしいのは我が息子だ。
俺や俺の親父のやり方を小さい頃から肌で感じていたためか、親父や俺以上にずる賢く育ってくれた。
子どもの頃もいわゆるいじめっ子であったが、いじめられるよりいじめる方になれと教えたのは俺だし、多少先方の親ともめた所で俺の金とコネをもってうまく抑え込んできた。
そして、息子は社長就任早々に大きな成果を我が社にもたらしてくれた。
それも俺でさえ眉をひそめるような悪どいやり方で相当恨みも買ったようだが、そこは俺や会社が盾になってやった。
当の本人は他人の痛みなど全く気にしていない様子で、そこがまたいい。 さすがは俺の息子である。
信心深くないこの俺が、昨年亡くなった親父の墓前に直行し、息子のその誇らしい成果とともに親父が基盤を築いてくれた我が王国はこれからも安泰だ、と珍しく墓碑を拝みながら報告をしたものだった。
VIP席でグラスを傾けながら、そのようなことをぼんやり思っていると、このバーの雰囲気に似合わない薄汚れたヨボヨボの老人が入って来た。
すぐさま扉の近くにいたマネージャーを呼んで体よく追い払うように指示したが、いつもの「はい、かしこまりました」との返事はなく、代わりに「ひどくやつれ果てて今にも倒れそうな御仁なのですが、宿泊者だとおっしゃられていまして、ホテルのお客様なので入店をお断りできなかったんですよ」とのことであった。
「そうか、宿泊客ならしょうがないな。まあ長居してもらわないよう祈るしかないか」
過去の思い出に浸ることは辞めにして、しばらくその老人の様子を見ることとした。
少し離れた席で、何か悩みを抱えてでもいるのか、一人ため息をつきながらチビリチビリと一杯の酒を大事そうに飲んでいる老人の姿をしばらく眺めていたが、段々とその貧乏神のようなオーラが俺の大事なこのバーの雰囲気を汚していくように思えて堪らなくなってきた。
そこで、俺はそいつの退店を促すためのちょっとした悪戯を思いついて再びマネージャーを呼んだ。
「おい、これと同じものをあの客に俺からと言って出してやってくれ」
「えっ、この銘柄のウイスキーは時価でお出ししていまして、通常2万円程なのですが、よろしいのですか」
「ああ、いいから出してやってくれ。びっくりして身の程を知り退散するかもしれんだろう」
「はい。かしこまりました」
マネージャーはしたり顔で辞去すると、バーテンダーにオーダーを伝えに言った。
「か、会長、お出しはいたしましたが、バーテンダーが言うにはあの客が飲んでいる物は同じ物だと」
「何。まさか」
驚いてマネージャーの顔を見上げたが、その後ろから例の老人がヨボヨボしながらこちらに近づいてくるのがわかった。
「どうも。いいお酒をごちそうになりまして。昔の儂なら『失礼な』と怒り出していたところだろうが、今はもう素直に善意と思って感謝しなければならん、と思い始めてな。それで礼だけは言っておこうと」
異常にやつれた顔をしているが、どこかで見た顔である。
それに薄汚れていると思ったのは何日も同じ服を着ているからであろう、くたびれてはいるが、近くで見ると極上の生地の上下を着ている。
「儂はこういう者での」
出された名刺を見て思い出した。
かつて我が社がさらに支配地域を拡大しようと一度は狙ったものの、我が社よりも規模が大きくその地域に強固な基盤を築いて隣県全域を牛耳っている強力な地場企業の存在からその地域への進出をあきらめざるを得ないことがあったのだが、その企業の剛腕で有名な創業者であった。
俺は驚きながらも丁重に老人をVIP席に招き入れた。
こいつは俺たちよりもさらに悪どいとの評判だったので、俺の縄張りを狙って偵察に来ているのかどうか探りを入れようと思ったのである。
俺は自分の身分を偽って言った。
「私は先祖が残してくれた土地家屋がそこそこあって、ありがたいことに悠々自適の生活をしている者なんですがね、あなた様のことは新聞やテレビで何度か拝見したことがありますよ。しかし、その有名な方がどうしてこちらに」
老人は疲れ果てた顔をして俺の問いかけにポツリポツリと答え出した。
「儂はこれまで我武者羅に働いて、お前様が言ってくれたようにいっぱしの成功を収めたのかもしれん。しかし、もう年での。ある時、ふとあの世からお迎えが来る時のことが頭によぎったんじゃ」
「それからというもの儂の頭の中には、三途の河の向こう岸にずらりと今まで理不尽なことをして儂に恨みを持っているだろうと思う奴らが並んでいて、みんな俺がやってくるのを手ぐすね引いて待っているといったことばかりが浮かんでの、夜も眠れんようになったんじゃ」
「そうなるとの、今住んでおるところもどんなにセキュリティを強化しても儂を恨んでいるものがたくさんいると思うと落ちつかんようになっての。こうやって、ずっと逃げ、否、旅に出ているんじゃ」
「これまで儂は怖いもの知らずのはずじゃった。しかしのう、今は他人の恨みが一番怖いんじゃ。生きて恨みを持った奴らも怖いが、特に、あの世に行ったらこれまで踏み台にして来た奴らが待ち構えておってその仕返しを心待ちにしていると思うと堪らなく怖いんじゃ」
「この土地まで来て、お前様のようにまだ儂のことを知っている者がおるとはの。ここも危ない。恨みを持った奴らに捕まるかもしれん。明朝一番、出ていくことにしよう」
老人は、大きなため息をつくと「ごちそうさん」と言い残し、このホテルで最高のスイートルームに帰っていった。
入って来た時以上に暗い顔をして出て行ったように思えたのは気のせいだろうか。
その夜、俺は夢を見た。
俺があのVIP席で一人静かに飲んでいると、またあの老人が近づいて来る夢だ。
否、よく見るとその老人は俺の親父だった。
「お前、よく聞いとけよ。地獄の沙汰も金次第なんて全くのデタラメだ。閻魔大王には金を幾ら積んでも無駄だよ。助けて下さい、何でも欲しいものを言って下さいって言ったら『俺が欲しいのは悪人の血と叫び声だよ、つまりお前のな』って言うんだよ。それに俺に恨みを持った奴らが巨万といて、これまでの俺の悪さをチクるんだよ。その度に閻魔大王にニヤリとされてよ。怖くて堪んないよ、頼むよ、助けてくれよ」
朝、目覚めるとまるで水を浴びせられたようにパジャマが汗でぐっしょりと濡れていた。
シャワーを浴びようとキッチンを横切ると、妻が冷蔵庫から朝食用に卵を取り出すところだった。
「ああ、起きたの。でも、あなた昨晩相当うなされていたわよ」
そう言って振り向いた妻が驚いた顔をして言った。
「ちょっと、どうしたの、一晩ですっかりやつれちゃって。何か悩み事でもあるの」
了
![](https://assets.st-note.com/img/1710597802070-z9jBmLkrX6.png?width=1200)