エッセイ「甘くて苦い記憶」
「ジン・トニックお願いします……」
気が付くとまた同じお酒を注文している。
僕はあまりアルコールを飲まないのだが、時々、無性に飲みたくなるのだ。極めてありきたりな定番のカクテルだが、僕にとっては特別なお酒で、飲むと懐かしく切ない気持ちになる。
大学四年の時、地元企業への就職が決まった僕は、東京にある父親の実家に一週間ほど泊まりに行った。その時、叔父と一緒に商店街の路地裏にあるショットバーで飲んだのがジン・トニックだった。
薄暗い店内で天井から吊り下がったグラス型のライトが鈍い色を放ち、木製カウンターについた無数の傷に反射して夜の暗い海に月の光が写り込んでいるように見えて、どこか夢の中の世界のようだったことを覚えている。
叔父夫妻は幼稚園の頃から可愛がってくれていて、東京に行った時には近所を散歩したり、神社や公園で遊んだり、浅草の花やしきに連れて行ってもらったりしたのが僕の幼少時の思い出だ。
小学校の高学年になる頃には、東京に行くこともなくなり、また、叔父夫妻にも子供が生まれて忙しくなったこともあって会う機会は少なくなったが、たまに手紙が届いたり、入学祝が届いたりするととても嬉しかった。
成人して叔父に会うのは初めてだったこともあり、「お酒でも飲もうか」と連れていかれたその店は、銀座で働いていたという腕の良いバーテンダーがオーナーで、三兄弟だった父と叔父たちが若い頃から通っていた店とのことだった。父や叔父の二十代の白黒写真が置いてあり、僕の知らなかった父の話なども聞けて楽しい時間を過ごすことができた。その時、教えてもらったのがジン・トニックで、「カクテルの基本であること」「バーテンダーの腕の良し悪しがわかること」などの蘊蓄を教えてもらったりした。
しばらく楽しい時間を過ごした後、叔父が今まで見たことが無いほど辛そうな表情で僕に話しかけてきた。
「あのさぁ、もう会うのは最後になると思う。きみと会うと洋子が悲しむから…」
洋子さんというのは叔父の奥さんになるのだが、一年前、交通事故でひとり息子の洋司を亡くしている。従兄で面影が似ている僕を見ると思い出して辛いとのことだった。
それからしばらく叔父には会うことは無かったが、四十歳を過ぎてから祖母の葬儀で叔父夫妻に会うことができた。嬉しそうな顔を抑えている叔父と、悲しそうな顔を抑えて明るく振る舞う叔母。言葉を交わした僕はどんな表情だったのだろうか……
今でも甘くて苦いジン・トニックを飲むとその時のことを思い出す。
8月の第10回目となる「文芸実践会」で提出したエッセイになります。
お盆の時期だったので、中学生で交通事故で亡くなった従弟のことを思い出して書いてみました。
長い間、誰にも話すこともなく、頭の中でもやもやしていたことを整理することができて、少し気分が軽くなったような気がします。
釣り以外のエッセイをキチンと書いたのは初めてかもしれません……