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人生で大切なことは、すべて「バガボンド」が教えてくれた

今回はとてもマニアックな内容です。タイトルに反応された方にはすでに説明不要かもしれませんが、バガボンドとは1998年から「モーニング(講談社)」で連載が開始された漫画です(2015年2月の掲載を最後に休載中)。

作者は、スラムダンクを描いた井上雄彦氏。原作は、吉川英治の小説「宮本武蔵」。主人公の宮本武蔵が、剣士としてもがき苦しみながら、人として成長するさまが描かれています。

キャラクターやストーリーには、井上雄彦氏のアレンジが大きく加えられていますが、それがまた良い味わいと臨場感を出しています。またその中に、現代を生きる人たちの糧となるような金言が頻出しており、時代劇が好きではない人にもお勧めできる名著です。

宮本武蔵といえば、佐々木小次郎との巌流島での決闘が有名ですが、本編は残念ながらそこが描かれる前に休載しています。しかしそれでもバガボンドの価値が損なわれない理由は、剣士として完成された状態よりも、むしろそこに至るまでのプロセスに、武蔵の人としての魅力を感じるからに他ならないです

この人としての魅力とは、武蔵が人生の壁に何度もぶつかりながらも、それに立ち向かう姿勢や心の葛藤です。それがとても躍動感のある描かれ方をされているので、自分に重ね合わせながら読み進めることができます。

今回はその中で、私が好きな言葉を紹介したいと思います。

考えれば考えるほど、
見よう見ようと目を凝らすほど、
答えは見えなくなる。

これは武蔵が柳生の里に乗り込み、名剣士の”柳生石舟斎”と対峙した際に言われた言葉です。

武蔵は「天下無双(世の中に並ぶ者がいないほどの優れた剣士であること)」を一直線に目指しながら強い剣士に挑んでいました。そして、ついに天下無双と名を馳せる石舟斎に辿り着きましたが、ここではその考えを改めさせられます。

うたた寝の石舟斎にさえ全く歯が立たず、圧倒的な力の差で勝負にさえならなかった武蔵は、大きな絶望感を味わいました。それと同時に、今まで目指していた天下無双について、

武蔵よ
天下無双とは
ただの言葉じゃ

「天下無双とは」などと
考えれば考えるほど
見よう見ようと目を凝らすほど
答えは見えなくなる

見つめても見えないなら目を閉じよ
どうじゃ
お前は無限じゃろう?

と石舟斎から言われ、武蔵はこの言葉に脳天を貫かれます。今まで天下無双になることだけを考え、ひたらすら戦いに明け暮れていましたが、本物の天下無双が、そもそもの考えを改めるよう提言してきました。

これがきっかけで、武蔵は今までと全く異なる視点から、次第に世の中や物事を捉えられるようになっていきます。そして徐々に今までの殻を破り始め、バイアスから解放されていきます。ただの言葉に縛られていたのです。

石舟斎との対峙はほんのわずかな時間だったと思いますが、武蔵にとっては人生が変わるほどの出会いでした。とても大きな影響を与えています。

何かに成ろうと必死にもがいているけど、中々実現できないとき。思い悩んでいてそればかり考えているとき。そんなときは、出口の見えない長いトンネルに入っているような状況です。

しかしそんなときこそ、実は物事を近視眼的に、一方向から見過ぎていたりします。見極めようと、必死になって見よう見ようとしているその行為が、実は本質を捉えづらくさせてしまっているときがあります。

それを石舟斎は諭したのです。

上手くいかないときほど力み過ぎず、肩の力を抜いて、別角度から俯瞰して物事を捉える大切さ。自分の視野の狭さやバイアスが、常に自分の可能性を狭めているかもしれないそのことにさえ気づいていないかもしれない。そう教えてくれたのです。

”解決しようとすればするほど、どつぼにはまってしまう”  誰でもそのよう状況に陥る可能性があります。そのようなときには、武蔵のように先人からの助言で一気に視界が開けたり、別視点で捉えることができるようになることがあります。

大きな問題は、自分だけで解決しようと一人で抱え込まず、周りの力を借りながら進むことが大切だと感じます。

融通無碍(ゆうずうむげ)

柳生の里を後にした武蔵は、再び放浪の旅に出ます。しかしその道中、落ちていた釘板を踏んでしまいます。油断していた武蔵は、全体重をかけて踏みつけてしまったため、足の甲まで釘が突き抜けます。

未熟 未熟
釘ははじめから上を向いて落ちていたんだ
それに気づかぬとは

いや 気づかないまでも
足の甲を貫くまで踏み抜くとは

気が体中に行きわたっていれば
五体が融通無碍を得ていれば
草鞋の裏で釘は止まっていたはずだ

沢庵なら 踏み抜きはしなかったろう
当然 胤栄なら
石舟斎なら

釘が刺さった痛みよりも、武蔵は油断していた自分への苛立ち、己の未熟さを嘆きます。

この武蔵から出た「融通無碍」という言葉は、起業家の理想の状態を表す言葉だと感じています。

「融通」とは物事が滞りなく進むことを指し、一方「無碍」とは妨げがないこと、何にもとらわれていないことを指します。つまり融通無碍とは、考え方や行動などに何も障害がなく、のびのびと自由に対応できること、またそのさまという意味です。

先ほどの石舟斎の言葉にも通じるものがありますが、「世の中で最も優れた人はどんな人?」と聞かれたら、私は水のような人だと答えます。

中国の老子の書に

上善は水のごとし

という言葉があります。水は、柔らかくしなやかでありながら、一方では硬いものを穿つ強さも持ち合わせています。しかも、万物に恵みを与え、争うことなく低いところに留まろうとします。

最上の善とは、争いを避けて生きることだと言われます。そんなしなやかさと粘り強さを持つ水のような状態が、“究極の理想”だと。

企業でも、周りとの「戦いを略す」手段を投じることが最善です。いかに競争の渦に呑み込まれずに事業創造を進めていくかを、優れた起業家は常に考えています。

柔らかくしなやかでありながら、硬いものを穿つ強さも持ち合わせている人は、自分は何ものにも変われるという感覚を持たれています。

本質的な確固たる価値観だけは持ち、それ以外はなるべく自分の型を作らないようにしています。そういう人は成長モンスターです。

その瞬間瞬間で最適解を選んで実行します。

また、そのような人は、昔の自分が決めたことにさえあまり囚われません。人は自分が決めたことを、無意識に押し通そうとしてしまいます。しかし、昔の自分と今の自分を比べると、今の自分のほうが知見や判断力が上がっています(そうでなければいけない)。

ある意味昔の自分のほうが馬鹿だと捉えると、そのときの自分の決断や考えに囚われるのはあまり良くありません自分が考えたことにも囚われず、そのときのベストを常に選択していくことが大切です

今までの自分自身を否定する力を養うことにより、融通無碍に近づけると感じています。それをバガボンドは教えてくれました。


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若槻嘉亮 Hiroaki Wakatsuki
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