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ロコロコを子供のように見守る

ロコロコというゲームを御存じだろうか?

2006年に発売されたPSPソフト、僕はnintendoの機種しか触ったことがないので、プレステのゲームにおけるイメージは、「リアルさを追求した表現、影を帯びていて繊細なストーリー」だったが、このゲームはその偏見を打ち破った。プレイヤーは丸くて歌うことが大好きな、ロコロコ(LOCO ROCO)を操作して、2Dステージのゴールを目指す。この生き物、赤い”ロコロコの実”を食べることで大きくなっていき、また分裂する事もできる。
しかも色も多彩。黄色、ピンク、黒、赤、緑など、複数の見た目のロコロコがいる。

 ゲーム内のBGMはロコロコの歌になっている。曲調は童謡のようなキャッチーさを持ち、歌声は無邪気な子供たちが合唱していて、非常に可愛らしい。

この曲では、子供のうちの一人が精いっぱい声を張り上げる瞬間が好きだ。(25秒くらい)曲のジャンルも冒険ゲームのようにたくさん。お花畑にあった童謡、雪の降る白い世界の静かな歌、ノリノリのロックンロール。さすがアクションゲームである。またどの曲も日本語や英語、あるいはその他の地球に存在する言語ではなく、ロコロコ語と言えばいいのだろうか、簡単な擬音のようなもので構成されている。

これはわかりやすく歌詞を日本語に起こしてくれている。何を言っているのかは深く理解する事は難しいが、人間の子供たちだって大人や青少年にはわからない共通のアンテナを張って交流しているはずだ。おそらく僕はそこに秘める無邪気さといったエネルギーを受けているのだろう。曲を聞いていると、どこか「子供のころ教育番組を見ていた時の記憶」、あるいは「今よりもっと柔軟でクリエイティブなアイデア」がフラッシュバックする。ロコロコたちが生活する星はまるでピーターパンのような子供の世界であり、そこでは楽しいことが沢山。今の現代社会で疲れている人々よ、是非移住しよう。きっとロコロコで癒されるに違いない。

 このゲームにも悪役はいる。もじゃもじゃのカラダを持つ「モジャ軍団」。鳴き声も「モジャ、モジャ」である。マリオのノコノコ並みに見た目やしぐさから推測しやすい名前である。こいつらの親玉は”ボン・ムーチョ”とその母親”マジョリーネ”。子供向けのゲームの割にいがいと見た目が奇怪。そんな奴らも歌で士気をあげるのだ。

先のロコロコの歌とは異なり、「大人のパワフルさ」を感じさせるというのが第一印象。しかもこの曲の中毒性がやけにすさまじく、一週間は頭から離れないし、今もこれを再生しながらこのnoteを書いたり。ロコロコたちの惑星に侵略する彼らはまるで、「子供に考えを押し付ける大人」のようにも思える。彼らを見ると、まるで自分の事に思うことがたまにある。「誰かに自分の考えを押し付けてはいないか」「この言い方は正しかったんだろうか」など、なんだか憎むことができない。だが相手も命がある。結局過度な干渉は関係を壊してしまうのではないだろうか。

 曲もなんだか癖になる。ゴスペルやソウルの雰囲気がこれでもかとにじみ出ている。こういうジャンルが大流行していたのも5~70年代ごろだっただろうか、ここでも「大人」というイメージが隠れている。

マーヴィン・ゲイの曲。もちろんソウルの例に挙げただけで彼を攻撃する意図はない。

 まさか自分が可愛らしいゲームの曲で何日も考えさせられるなんて思わなかった。

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