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生死に所有権はあるか?

裁判に負けた。
2勝1敗だが、損害賠償が発生したので、敗訴となる。
規則に違反していたので、対応しなかったら所有権を主張して来た。
使え無い状態だから、無価値なはずなのに裁判官は価値をつけた。
つまり、ゴミに価値を付けて所有権を認めるのが民法なのだ。
日本では、所有権は強力でそこまで〜と言う気がする。

物は形が有るので理解できるが、命に所有権は認められるのだろうか?
人の命を奪えば、生きる権利を侵害することになり悪い事になる。
しかし同様に死ぬ権利もある訳で、これを奪えば助かる訳で良い事になる。
奪われる側の、心情がどうであれ認知されている。
つまり、命に所有権は無いのだ。
くだらないゴミに所有権を認め、大事な命には認めない。
さらに命に一切の差別はないとは、どの口が言っているのだろう。

人間を信用しておらず、条例や規則は毎日の様に作られ、それに基づき信号整理をする。
青進め、黄色注意、赤止まれ の交通整理のように振り分け、自由度を狭めて行く。職権乱用により迷惑を被るのは、真面目な一般人であり、一部のアウトローを見つけては、既得権を得て多額の税金を使っている。

これが3D社会の特色で、段々と飼い慣らされて行く。
神様に死とは何ですか?と問うたら「その汚い衣を脱ぐことじゃ」と言われた。
生まれた時は清かった肉体も、知らぬ間に垢まみれになるが、その時が来るまでは大切にしなければならない。
身体無くして目的は果たせず、ましてや
母と父から頂いた、この身体を大切にすることが感謝の極みだから…
命の所有権は、神が持っているのだろう。




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