わからない
ラーメンの食べる順番がわからない。
ラーメンに関していえば、私は小学2年生だ。
ここ最近までラーメンから逃げ続けてきたからである。
今の私には、本当に難しい問題なのだ。
今日食べたラーメンの具材は、ネギ、メンマ、海苔1枚、チャーシュー3枚、味玉1個。
基本的には、スープ、麺という繰り返しで、リズムの骨を形成していく。
ネギは、そのリズムに付随して、ほぼ自動的に口の中に運ばれ、小節の頭に入るクラッシュシンバルのように、リズムに関節を与えている。
さて、ここまではいい。
残りの具材が問題である。
まずは、メンマ。
これは比較的、数がある。
一口かじると、小気味の良い食感とともに、柔らかいようで芯のある、そんな旨味が「ジュワッ…」と溢れ出してくる。
一見、地味だが、侮れないポテンシャルを秘めている。
脇役に徹してはいるが、彼のスピンオフ作品が発表されたなら、喜ぶファンは少なくないだろう。
数があるからといって、いい加減に口に運ぶのはもったいない。
ちゃんと一本一本を味わえるように、リズムの然るべきところに配置する必要があるのだ。
そして海苔だ。
海苔。
たった一枚の海苔。
質量もほとんどない海苔。
なのにこのつきまとうような存在感はなんだ?
そして、食べ終わった後、どのタイミングで食べたか覚えていない。
確かにそこにいたはずなのに、影のように消えている。
海苔は、ラーメンの上に浮かぶ謎。
どれだけ追い求めても、決してたどり着くことができない、遠い過去の思い出だ。
「うちがおらんくなっても、ずっと忘れんといてな?」
記憶の中の一言を頼りに、過去を遡る物語が始まりそうである。
海苔とは、そういうものだ。
彼女を忘れないために、最高の夏休みにしたい、じゃなくて最高のタイミングで食べたいのだが…。
その答えはまだまだ見つからなさそうだ。
チャーシュー。
今日はあっさりめのチャーシューが3枚。
あっさりといえど、チャーシュー、肉である。
具材の中では主役を務めるに足る実績と実力を持っている。
それが、3枚。
たくさんあって嬉しいけど3枚。
難しい…。
このラーメンにおいて、チャーシューの主張は控えめである。
我の強いタイプではなく、物語の一部として自然に溶け込んでいるような、そんなチャーシューだった。
しかし、私は、自身の浅薄さゆえに、「ほらほら、今日の主役はチャーシューなんだから、もっと真ん中に寄ってよ」みたいな、空気の読めないおじさんカメラマンの感じを出してしまう…
今までのチャーシュー観をアップデートさせていかないと私に未来はない!そう強く感じた。
このチャーシューの淡白なノリを理解し、リズムを最大限楽しむには、まだまだ修行が必要なようだ。
チャーシューの話が片付いたが、裏ボスが残っている。
味玉である。
今更だが、今日食べたラーメンは、「醤油味玉」である。
物語の根幹をなす「醤油」と並び立つ存在。
それが「味玉」である。
裏ボスというより、真のボスという方が妥当かもしれない。
実は、以前、今日と同じ店で、「醤油煮干し味玉」を頼んだことがある(私はラーメン6歳)。
その際の私はなんと、味玉を、スープも全部飲み干した後までとっておいたのである(6歳だから…)。
私は、どんぶりの底に丸々残された味玉を食べた。
おいしいけど、絶対になにかが違う。
味玉を大事にするあまりに、いつまでも残しておいたら、本当に大事だったなにかを逃してしまった。
私は、味玉を大事にするあまり束縛してしまい、自由に友人たちと遊ぶ機会さえも奪ってしまった。
そんな苦い思いを噛み締めた。
「味玉が、こんなに苦いなんて…。」
もうあんな思いはしたくない。
私は、失うことを恐れずに、一瞬を大事にして生きると、改めて決心したのであった。
そして、再び私は、味玉と対峙する。
「焦るな…。恐るな…。まだ機は熟してない…。」
自分に言い聞かせながら時を待つ。
そして、頭の片隅に「割ってみたい」という欲求が顔を覗かせたのを、私は見逃さなかった。
刹那、私は素早く且つ丁寧に、ツルッとした、光沢に柔らかさを包んだ、その魅惑のボディを、箸ではさむ。
それから、ゆっくりと切断した。
割れた断面からは、黄金色に熟した黄身が、溢れんばかりの光を放っているかのようだ。
たまらず、その片割れを、少しスープに浸してから、舌の上に乗せる。
口の中で、滑らかに潰す。
黄身の濃厚の食感と白身の包みこむような食感、染み出てくる旨味と絡み合うスープ。
「これだ…。」
過去の悲しみを超えて、新たな喜びを見出した瞬間であった。
思い返してみると、今回は、いいリズムに乗れた気がする。
しかし、リズムに乗るには、やはり経験がものをいうのだろう。
まだ私は小学2年生なのだ。
やっぱり、まだまだわからない。