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ラーメンこわい
ラーメンがこわかった。
どういう意味か。
きらいなわけじゃないし、まったく食べないというわけではない。
でもラーメン屋には、めったに入らない。
お昼時でも、混み具合だけ確認して、素通りしてしまう。
だいたいの日本人は、ラーメンが好きだと思われる。
人が4人あつまれば、だいたいラーメンの話をする。
「あの店は、味噌ラーメンがうまい」とか「新しくできた店にはいった?どうだった?」とか。
私は、その議論からはいつも一歩引いて「へぇ、おいしそう」というだけだった。
私のように、嫌いじゃないけれどラーメン屋には入らない、という人も少なからずいるのだろう。
その理由とは一体なんだ?
「丼1杯に1000円くらい払うのが嫌」「並んでまでして食べるのが嫌」「客層とか店の雰囲気が苦手」とか…私に思いつくのはそれくらいだ。
しかし、安い店も、並ばず入れる店も、雰囲気のいい店だってある。
先にあげた理由は、どこかとってつけたような感じがする。
ラーメンは、そのほとんどがおいしいと言って過言ではないだろう。
そう思っているのに、なぜラーメン屋に足を運ばないのか。
なぜ、「ラーメンが好き」と言えないのか…。
そのことについて真剣に考え始めると、夜も眠れず、麺ものどを通らない。
そんな日々を過ごしていた。
しかしある日、ほんの気まぐれでラーメン屋に入って、スープを一口飲んだとき、悟ったのである。
私は、ラーメンが好きなあまりに、ラーメンと向き合うのがこわかったのだ。
「たかがラーメンに何言っている」って?
だってあれ、あんなにおいしいの意味わからなくないですか?
そう。ラーメンって意味わからないくらいうまい。
しかも店ごとにいろんな味があって、それぞれ違ったスープや具材の組み合わせ、それぞれのおいしさがあって…。
もう意味がわからないどころか、意味がないんじゃないか?って思うくらいに、全部無意味にしちゃうくらいうまいんです。
でも、悲しいことに、ラーメンは食べたらなくなってしまう。
あんなにおいしいのに、なくなってしまうだなんて。
この悲しみは耐え難い。
だから、私はラーメンを食べる時、
「あぁおいしい。おいしい!…でもいずれなくなってしまうから、あんまり好きにならないようにしよう…」と、無意識に、「ラーメンを喪失する悲しみ」から自分を守っていた。
つまり、「ラーメンを失うのが怖くて、ラーメンを好きじゃないふりをしていた」ということである。
そしてラーメンの喪失をこわがるあまりに、「おいしいラーメンを食べたい」という欲求さえ封じてしまった!
「なくなるのが嫌なら、大盛りとか替え玉すればいいじゃない」と思うだろうか?
一理ある。
1秒でも長くラーメンと共にありたいと願う心は、決して否定できないだろう。
しかし、大盛りとか替え玉したら、お腹が苦しくなる。
最悪の場合、ラーメンを残してしまう。
好きだけど、失うのがこわい!
執着して、お腹壊すのもこわい!
「地獄だ…。」
そして私は、最近まで、ラーメンと、ラーメン屋から距離をとって過ごしてきた。
しかし、私はまたラーメンと出会うことになった。
それも、心からおいしいと思えるラーメンと。
いつか食べ終わってしまうのは仕方のないこと。
どうしたって避けられない運命だ。
最後には「おいしかった」と言えるように、全身全霊をかけて、ラーメンを味わうしかないんだ。
今は、素直に、そう思うのです。