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「路上飲み」から考える自由と公共の福祉。
ニュースを見ていると、「保守」「リベラル」といった言葉が頻繁に登場する。何となく両者についてのイメージはあるが、それぞれを正確に説明することはできないという人は多いかもしれない。
ひとまず辞書を引くと、こんな解説が載っている。
【保守】旧来の風習・伝統を重んじ、それを保存しようとすること。
【リベラル】個人の自由、個性を重んずるさま。自由主義的。
うーん、わかったような、わからないような……。そもそも「伝統を重んじること」と「個人の自由を大切にすること」が対立する概念であるようにも思えない。
さらに日本では、「保守」と「リベラル」の逆転現象が起きていると指摘する識者もいる。たとえば憲法がそのひとつだが、自民党をはじめとする保守政党が“改憲”を目指し、革新とも呼ばれるリベラル政党の多くは“護憲”、もしくは改憲に消極的な態度を示すなど、「保守」が変えていこうと提唱し、「リベラル」が守っていこうと主張する場面が多々見られるというのだ。
こうなると、ますます何が保守で、何がリベラルなのかを理解することは難しいし、ましてや自分自身が保守なのかリベラルなのか判別できないという人も多く出てくるだろう。
しかし、そもそも個人の思想など、そんな単純に「保守」「リベラル」などと2つにラベリングできるものだとは思えないし、もっと言えば、「この件に関しては保守的だけど、この件に関してはリベラル寄りかも」といったふうに、ひとりの人間のなかでもグラデーションがあるのが自然なことのようにも思える。
そうした意味で、自分が「保守なのか」「リベラルなのか」という、みずからに貼りつけるためのラベルにこだわる必要はない。だが、それでも自分自身が「社会において何を最も大事にしたいと考えているのか」を知っておくことは重要かもしれない。
そして、このコロナ禍は、「みずからが大切にしたいと思うもの」が何なのかを炙り出す絶好の機会となっているようにも思われる。なかでも最適なケーススタディとなるのが、いま話題の「路上飲み」だ。
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