「一人で死ね」論争でずっと考えていたことが、ようやく言語化できるようになった。
コメンテーターとはつくづく難しい仕事であると、あらためて感じている。
川崎市で痛ましい事件が起こってから、10日以上が経過した。何の前触れもなく、突如、愛する人を失った方々の悲しみは想像を絶する。そして、怒りをぶつけるべき相手がすでに死してその存在を消していることが、さらにやり場のない思いを生み出している。
この間、さまざまな人々が、さまざまな意見を述べていた。そのひとつに触れながら、私は「なるほど、そうか」とうなずいてみたり、「それはどういう意味だろう」と立ち止まって考えさせられたりしていた。
特にNPO法人ほっとプラス代表理事・藤田孝典氏の「川崎殺傷事件『死にたいなら一人で死ぬべき』という非難は控えてほしい」という文章と、それに対する「いや、そう思って当然だ」といった意見の応酬には、多くのことを考えさせられた。
私はこの件に関して多くを語ってこなかった。語れなかったのだ。言いたいことはあれども、それをうまく言語化できず、澱のように溜めてしまっていた。事件・事故が起こったとき、みずからの考えを練り上げる時間のないなかで意見を述べなければならないコメンテーターとは、じつに難易度の高い仕事だと感じている。
ここ数日、ようやく霧が薄くなり、自分の胸の中にあった思いが明確になってきた。この問題についてはすでに多くの方が語り尽くしており、まったく周回遅れであるようにも思うが、最後尾にいるからこそ見えてくることもあるかもしれない。せっかくなので、ここに記しておこうと思う。
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