「性の商品化」という言葉にモヤモヤしているあなたへ。
この一週間、SNSでは「#性の商品化」というワードを多く目にすることとなった。
事の発端は、今月開催予定だった水着撮影会に対して、会場の指定管理者である「埼玉県公園緑地協会」から中止要請がなされたことだった。
その直前に、日本共産党の埼玉県議会議員団が県に対して貸出禁止を要請したというツイートもあったことから政治的なイシューにまで発展し、賛否両論ともに様々な意見がネット上に飛び交うこととなった。
結局、「許可条件に違反していない主催者にも一律に中止を要請したことは適切でない」として中止要請は撤回されることとなったが、今回の問題を機に始まった「性の商品化」論争については、とても決着を見たとは言えないのが現状だ。
まず前提を整理しておくが、今回問題視された水着撮影会には、これまで多数の中学生モデルが参加していたことが確認されている。ただ水着を着用していただけではなく、なかには尻を突き出していたり、股間にピントが当たっている写真なども公開されていたというから、水着撮影会が児童ポルノに寄与してしまっていた可能性もある。
日本には児童ポルノ禁止法という法律があり、18歳未満の子どもの裸やそれに準じる姿の撮影や公開などは禁止されている。こうした撮影会が児童ポルノを生み出す温床になってしまっていたのだとしたら、今回に限らず、今後も含めて使用に制限をかけざるを得ないだろう。
その上で議論すべきは、あくまで成人による「性の商品化」についてだ。
そもそも「性の商品化」という言葉があまりにインパクトがあることによって、実像がかえってボヤけてしまっている側面もある。性の商品化とは、あるサイトでは「性行為やそれに関連した事柄が、商品として売買されること」とある。また別のサイトでは「人間の性が人格から切り離され、モノとなって流通すること」と説明されている。
性の商品化にはグラデーションがあり、まずは肉体を用いた直接的な行為(性風俗など)が挙げられる。次に、AVやヌード写真など“性的な表現”を商品にする場合。さらに、ここからは賛否分かれるだろうが、美醜や肉体の一部に注目した形で開催されるミス&ミスターコンテストなども「性の商品化」の一部であると指摘する声もある。
もちろん私たちの価値観は多様であるから、これらすべてが許されるべきではないと考える人もいれば、売買春も含めてすべてが個人の自由であると考える人もいるだろう。また当然ながら、このグラデーションのどこかで線引きをすべきだと考える人もいる。
これは個々人の倫理観によっても違いが生まれてくるだろうし、もしかしたら性別によってもこの問題とどう向き合うかの傾向には違いがあるかもしれない。結局は「その人次第」ではあるのかもしれないが、いまだこの問題に自分なりの結論が見出せていないという方のために、少し補助線を引いて考えてみたいと思う。
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