![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/174631018/rectangle_large_type_2_055ce4544b0b6e0e667d03d7ac545079.jpeg?width=1200)
帰化一世の立候補は認められるべきか。
日本維新の会が、今夏の参院選比例代表で石平さんを擁立することを発表した。石平さんは、2007年11月に日本に帰化した中国出身の評論家だ。このニュースに対して、「帰化一世の立候補は認めるべきではない」という声が一部の保守層から上がっているようだ。もちろん、批判的な声を上げる方々の気持ちもわからなくはない。
帰化一世は、生まれながらに日本人というではなく、元々は別の国籍を持っていた。この事実が一部の国民にとって、「本当に日本の国益を第一に考えてくれるのか」という不安につながる可能性はあるだろう。特に中国や韓国など、安全保障を考える上で大きな利害関係が生じる国である場合、その候補者が祖国の影響を受けるのではないか、という疑念が生じることもあるだろう。
この問題を考えるにあたって、ひとまず補助線を引いてみようと思う。被選挙権年齢の引き下げについてだ。選挙権年齢については18歳に引き下げられたが、被選挙権年齢については25歳のまま。参議院議員や都道府県知事であれば、30歳まで待たなければならない。
なぜ18歳になれば投票できるのに、選挙に立候補するには25歳まで待たなければならないのか。そこに合理的な理由はない。「良識が必要だ」「経験が」という声も上がるが、ただ年齢を重ねただけで良識が身につくと考えているのなら、あまりにお花畑だと言わざるを得ない。
この件に関して、私は「引き下げ賛成派」である。たしかに「経験のない若者に政治を任せることはできない」という意見があるのもわかるが、それならばそうした候補者に票を入れなければいいだけの話で、若者から立候補する権利を奪う理由にはならないと考えている。
帰化一世の立候補に関しても、基本的には同じ意見だ。もちろん、「年齢の話と帰化一世の話とではリスクが大きく異なってくる」という反論も予想されるが、そのリスクをどれほど大きなものと見積もるのかも含めて、私は有権者一人ひとりの判断に委ねるべきものだと思っている。
この「立候補の資格があるのか」という問いについては、日本に限らず、世界中で繰り返されてきた。いや、立候補の資格どころか、「投票する資格があるのか」という問いにおいて、歴史を遡れば性別や人種についても厳しく制限がかけられていた時代があった。「女性だから投票できない」「黒人だから投票できない」。どちらも誤った判断であったことは歴史が証明している。
そもそも民主主義の根幹は、「選ぶ自由」と「選ばれる自由」にある。どんなに若くても、どんなに障害が重くても、どんな出自でも、「この人に政治を任せたい」と思う人が一定数いるなら、その人には政治の舞台に立つ資格がある。逆に「こんな人に政治を任せられない」と思う人が多ければ、選挙で落選するだけの話だ。つまり、最終的な判断をするのは有権者であるべきだと思うのだ。
ただ、話をこれで終わらせるわけにはいかない。
------✂------
ここから先は有料公開となります。
月の途中からご購読いただいても、当該月の記事はすべて読めるようになっているので、安心してご登録ください。
記事の更新はみなさんからのサポートに支えられています。ぜひ、この機にご登録をお願いします!
「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.com/h_ototake/m/m9d2115c70116
みなさんからサポートをいただけると、「ああ、伝わったんだな」「書いてよかったな」と、しみじみ感じます。いつも本当にありがとうございます。