【義足プロジェクト #18】 不惑を過ぎて、肉体改造に励む。
平成最後の年が始まり、ウッチーとの練習が再開された。
わが家のリビングルームで毎週水曜の午前中に行われる練習は、一時間強、ストレッチと義足歩行の二部構成で行われた。
年明け一回目。一月九日の練習は、股関節のストレッチから。
「転ばなくなるためにも、股関節の可動域を広げることはとても重要です。乙武さんは、股関節の硬さを、上半身を上手に使うことで補っていますが、ストレッチで股関節の可動域が広がってくると、いまよりずっとスムーズに足を前に出せるようになりますよ」
ウッチーはそう言って私の身体を揉みほぐしながら、じつはこの時べつのことを考えていたという。
「乙武さんはこれまでの人生で一度も歩いたことがないんだ……」
幼いころに義足の練習をしたことがあるとはいえ、私にその記憶はほとんどない。そのことが歩行を獲得するうえでの最大のハンデになるとウッチーは分析していた。
ウッチーは、以前まで働いていた病院でのリハビリ風景を思い浮かべていた。義足を履く人の多くは、事故や病気で後天的に足を失った人たち。それ以前には歩行経験があった。その感覚を思い出しながらトレーニングをすることでスムーズな義足歩行ができるようになるのだが、私には思い出すべき体験も感覚もない。
「乙武さんは、頭で歩いているんです」
遠藤氏からはそう言われた。健常者はみな無意識のうちに、右足、左足を交互に出すことでスムーズに歩いているが、私にはその感覚を養う機会がなかった。そのため、歩行を頭で理解し、考えながら足と身体を動かしているというのだ。
遠藤氏が続けた。
「人間の歩行というのは、一歩足を踏み出そうとすると重心が身体の前方にはみだし、接地して重心を身体の内側に取り戻し、また一歩踏み出そうとすると重心が前方にはみだし、ということの繰り返です。重心が前に外れることを怖がらないようにならないと、なかなか自然な歩行に近づきません」
頭でわかっても歩けない。いや、頭でわかろうとするから歩けない。歩くとは、なんと難しいことなのだろう……。
この日以来、ウッチーは私の脳に「正しい歩行感覚」を覚えこませるため、根気強く声をかけ続けてくれた。四年間の臨床経験がしっかり生かされているのだろう。
「左足はどうですか?」
「いま左の骨盤に体重が乗っているのがわかりますか?」
「前回の練習のあとはどうでしたか?」
私は、自分の身体から発せられる声に耳を澄まし、そして答える。
「ちょっと痛いかもしれない」
「うん。そんな感じがする。この感覚、はじめてかもしれない」
「お腹の奥の方が熱くなってる感じ」
そんなやりとりを繰り返していたら、私は自分から考えるようになった。
「足を外側から振り回すイメージで歩いてみたらどうだろう」
「重心をどこに持っていけば歩行姿勢が安定するだろうか」
遠藤氏の言うとおり、私は頭で歩いているのだった。
------✂------
ここから先は有料公開となります。
個別の記事を数百円ずつご購入いただくよりも、月に20本近い記事が配信される定期購読マガジン(月額1,000円)をご購読いただくほうが圧倒的にお得です。
記事の更新はみなさんからのサポートに支えられています。ぜひ、この機にご登録をお願いします!
「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.mu/h_ototake/m/m9d2115c70116
ここから先は
¥ 200
みなさんからサポートをいただけると、「ああ、伝わったんだな」「書いてよかったな」と、しみじみ感じます。いつも本当にありがとうございます。