アジサイ

備忘録

アジサイ

備忘録

最近の記事

残念な担任

ある日、子どもの担任から仕事中に電話が入った。 「今日、大変申し訳ないことをしてしまった」 「ゴミの授業で自宅のゴミ調べにオムツと書いてあったから、赤ちゃんがいるの?と尋ねてしまった」 聞いた瞬間に凍りついた。本当に事実なら信じられなかった。 しかしそこで話は終わらず、更に担任の話は続いた。 子どもは「いません」と答え顔色が変わった。その様子からまずかったと思い、授業が終わってから、子どもを呼んで配慮が足りなかったと謝った。その瞬間、子どもは泣き出してしまった「大変申し

    • 勇気は希望に繋がる

      とっても哀しんだけどしあわせで とってもつらいんだけど守られていて やりきれないんだけどやりきるチカラをくれる とあるセミナーに参加 「自分の悲しみ、人の悲しみをどういたわれるでしょう」という問いかけ。 久々過去を振り返り、過去を口にしたら、どっと当時の心が蘇ってきた。体験したものにしかわからない感情。その時助けてくれた人たち。同じ時間を刻んだ人たちに伝えた思いはこころの真髄。勇気は希望に繋がる。かけがえのない人たちとの出会いが豊かな境地に導いてくれた。その時感じた気持ちは

      • 記憶に残る看取り

        駆け出しの新人の頃、最期の瞬間に立ち会うことは良くも悪くも当たりくじを引いた気分だった。私の時が最期だったか。と思えば、もうダメだろうなと思いながら勤務が終わって引き継いで帰ることもあった。 後日亡くなったと知ってその人の最期までの看護記録を読むことは日常だった。最期は決まってモニターのゼロを確認し、医師がペンライトで瞳孔を見て、聴診器で胸の音を聴いて、何時何分ご臨終です。と告げる。そういうものだ。と思っていた。 そんな日常が当たり前じゃなくとても尊いと気づかされた日があった

        • 「植物状態になった家族と生きる」

          主人が交通事故に遭い生活が一変したのが5年前。救命病棟看護師として、子ども3人(2歳・8歳・11歳)を育てながら働いていた頃でした。警察からの電話で「ダメかもしれない」と思って子どもたちを連れて病院へ向かった日のことは、今でも鮮明に覚えています。 起こってしまったことは仕方なく、どう向き合い生きるかが私に与えられた課題でした。 遷延性意識障害(植物状態)の家族として、現役の看護師として、歳月を経て思うことをお伝えします。 「あいまいな喪失」を知る 「残念ですが脳損傷が激しく

          いざという時に知らない

          緊急時に連絡をしようと思っても連絡先がわからない事態がある。誰もが携帯電話を持つ時代だからこそ軽んじられてはいないか。学校は保護者の連絡先を確認している。会社は家族の連絡先を確認しているであろうか。いざという時、本人が発信できない事態に陥った時、家族に伝える手段を皆備えているだろうか。 仕事中怪我をして救急車で搬送された方、会社は家族の連絡先を控えていなかった。携帯電話の中に情報はあるのに一報が入れられない。知っているようで知らないという落とし穴かもしれない。 いざという

          いざという時に知らない

          直感を信じる

          朝渋を聞く習慣がある。 その流れでやめるフェスを聞いた今日。 やっぱり直感を信じるっていいなと思った。 危機的状況になればなるほど直感は冴え渡る。 そんな経験をした人にしかわからないだろうけれど、自分に真っ直ぐに生きれたらラッキー。 時間は有限、今日だけに集中して過ごすと気に留まることが必ずあるものだ。 本能のままに気の向くままに。 感性は自ずと磨かれていく。 聞くだけでいい気分。 小さなよかったが集まれば、しあわせ。 あれこれ考えてわからなかったら、やめる。 あれこれ思っ

          直感を信じる

          看護はミテマモルと書く

          この動画視聴して看護を伝えたいと思った。 ミテマモル。 看て護る人が看護師。 どんな時も目を逸らさずに向き合える人でありたい。 白衣で立つことに責任と悦びを感じ、その人とその人を取り巻く人々にエールを送ろう。 ナースのチカラはしなやかで逞しい。 巡り合わせの偶然を必然に。 価値ある人生に参加できる喜びに。 一期一会を大切にしよう。 生きていることは奇跡。 それを知っているナースはあなたに勇気をくれる。

          看護はミテマモルと書く

          個の時代がもたらした鎖

          建設的に話を進めても、なかなかうまくいかず、あらぬ方向へ行くことがある。 指摘されると、個が非難されていると捉える人。 提案されると、無理だと即決する人。 誘われると、なんとなく参加はしてくれる人。 個は尊重されているのに、委ねられると途端に警戒される。 プロセスのない数式から答えが出てくる。 人との関わりが希薄になったからなのか。 集団に委ねて矢面に立つことがなかったのか。 個を重視して他を受け入れないのか。 寂しすぎやしませんか。 ずっとその場で待ちぼうけ。 景色も

          個の時代がもたらした鎖

          愚痴だけじゃ

          コミュニケーションは愚痴じゃつまらない。 吐き出してスッキリするかもしれないが、その後が大事。 じゃあどうするのか。どうしたいのか。 そのために何を行動するのか。 愚痴を耳にするのは自分自身。 もっと建設的に人と話そう。 こんなことがあって嫌だった。やってられない。酷いと思った。頭にきた。 だから〇〇しよう。〇〇をしないでおこう。〇〇ならどうだろう。 愚痴で終わらない言葉を繋げよう。 変えるのは自分自身。 きっと愚痴を言った分だけ、逆説に言い換えれたら、新しいアイデアがど

          愚痴だけじゃ

          人生会議

          ACP(advance care planning) 上智大学グリーフケア研究所「悲嘆」についてのセミナー受講中。 学んだことは、人は誰でもスピリチュアルペインを持って生きているのだということ。 それを知り、どう捉え生きていくか。 心の持ち方ひとつで如何様にも人は変化する。 寄り添う人がいてくれるだけで違うのだ。 ニーバの祈りに続いて紹介された動画。 あたりまえのことに胸を打たれる。 知識は人を何倍にも豊かにしてくれる。 無知は人を一瞬で傷つけてしまう。 だから学ぶこと

          あなたの声が聴きたくて

          思いを伝える。言葉が声になるならば、スピリチュアルがそこにはある。声は希望につながる第一歩。誰かをしあわせにしてくれる。 残存機能の可能性が広がるチャレンジは素晴らしい。思わず手に取ってみたくなった。 自分の声を耳にしたら何を感じるんだろうか。 #VoiceRetriever #READYFOR #クラウドファンディング#もしも叶うなら

          あなたの声が聴きたくて