〔内容〕応仁元年(1467)に始まった応仁の乱による戦禍から逃れるため、一条兼良は息子の尋尊(注1)を頼って、翌年から興福寺大乗院(注2)に身を寄せ、文明9年(1477…
広瀬孝也
2024年6月28日 02:11
〔内容〕応仁元年(1467)に始まった応仁の乱による戦禍から逃れるため、一条兼良は息子の尋尊(注1)を頼って、翌年から興福寺大乗院(注2)に身を寄せ、文明9年(1477)までの10年余りを奈良で過ごしました。この間、美濃国の戦国大名であった斎藤妙椿(注3)の招きに応じて、文明5年に同国を訪ねた時の紀行が『藤河の記』(ふじかわのき)です。注1︰尋尊(じんそん)注2︰興福寺大乗院注3︰斎藤