なぜシェアハウスと繋がったの?
シェアハウスを知った経緯について
サクラ荘を知った経緯についてすこし書いておきたいと思います。
サクラ荘は左京区を中心にいくつかのシェアハウスを共同で経営している少し名の通ったグループです。
私は高校三年生の時に東京でグループ展に参加したのですが、そこで知り合った友人が、偶然サクラ荘の住人を紹介してくれました。
初めて行ったのは、京大の本館で開かれたホームパーティーでした。
月に一度パーティーが開かれているので、その後も行くようになり、その界隈の交流会にかよったり、サクラ荘と交友関係のあった学森舎などのシェアハウスにも顔を出すようになりました。
今まで大人数で色々な価値観を持つ方々と、それもいっきに知り合うようなことはなかったので、とても楽しかったです。
家からも近いこともあり、気がつくと一週間に一度は遊びに行くようになっていました。
今思えば、ちょっと行き過ぎていたかもしれません。
このサクラ荘を立ち上げたホリィ・センという人物がいます。彼との出会いは、私にとって特別な出来事でした。
彼は「サークルクラッシュ同好会」というサークルを京大で立ち上げたことで有名でした。ちなみに、私はよくここにも出入りしていますが、会員ではありません。
彼とは会う前から周囲から彼について聞いていたのと、何となくそのうちに会えるだろうという気がしていました。そのためか、初めてあった時は、もっと古くからの友人であるかのような感覚がありました。
お互いそうだったらしく、「今年ホリィ・センと会えて本当に良かったよ」と伝えると「あれ、3年前くらいからの知り合いやと思ってたわ」と返してくれたことがあります。
また、彼とはすこし特殊な縁もあります。
いまから数年前、インターネット上で有名な女性が自殺しました。
わたしが彼女を知ったのはそのニュースが初めてでしたが、あまりに衝撃的な事件だったので、強く印象に残りました。それから、私は自殺というニュースを注意深く関心をいだくようになりました。この女性がつきあっていたのが、ホリィ・センだったのです。
それを知ったとき、彼と会ったことは、何かにひきつけられているような気がしました。
その数年後にも、私はまた別の自殺のニュースに接しました。今度は、隣の高校でした。ここには友人も通っており、幸か不幸か直接現場を目撃はしていませんでしたが、現場の痕を見たと話していました。
それから、私の自殺への関心は、私の芸術に対する関心と結びつくようになりました。私が芸術をする理由の一つには、社会の救済があります。もちろん芸術には即効性はありませんが、より良い社会にするために頑張らなければなりません。
作家としての私が、作品を通して人に伝えたいことは「生を肯定すること」なのですが、これは自殺への関心からきているところが大きいと思います。それはつまり、「誰も死んでほしくない」という主張であり、ある意味では究極のエゴイズムだとも思います。
ここでめいちゃんちを知った経緯についても書いておきましょう。
きっかけはある時、よく会う大学の先輩と、大学の制作環境について話していたことです。大学は制作環境は整っているのですが、24時間営業ではないため、思うように使えないという難点がありました。
それに加えて「自分たちの場所欲しいじゃん!」という意見の一致から、シェアアトリエをしたいなという話につながり、その流れでシェアハウスのパーティーで培った人脈をさっそく使い、相談してみたところ、ここで初めてめいちゃんちの名前が出てきました。
それがたしか今年の初めあたりだったのですが、春にはもう、そこの大家になるわけです。もちろん、その時の私には思いもよらなかったことでした。
さて、シェアアトリエをしたいと話したのは、私からの発案からだったので、責任を取って一人でまず下見に行きました。オーナーの扇沢さんが丁寧に場所の説明をしてくださり、ひと段落ついたところ、制作の話になりました。
どうして作ってるんですか?と聞かれて上記の「救済ですね……」と返したところ
「三代目だ!」と言われて「なんですかそれは」と聞き返すと「つまり、あなたに大家になって欲しいんです」と言われました。二つ返事でOKと返しました。
翌日先輩に「物件どうだった?」と聞かれて「いいところだったし大家になることになった」と返すと、大笑いしてくれたので、とてもいい収穫でした。(先輩は事態をすぐに受け入れてくれましたが、「普段からやってること変わんなくない?」と言われました。私は定期的に人を連れて家に避難させる癖があるので……)
これが、私が京都に来てからシェアハウスを知り、一年後にはシェアハウスの大家になったというあらすじです。