休職のススメ_価値観について
せっかくの一度きりの人生、色々な価値観に触れたい。こんな考え方もあっていいんだ、とわかることができた時、もう少し自分自身が楽に色々な物事に対応できるかもしれない。。
休職をする以前、実家に帰省したとある日の話ですが、ある出来事(それがなんだったのかはもう忘れました)で母と口論になったことがありました。口論といってもほとんど自分が母に詰め寄っていたのですが。
そこで僕は、「話が理論的ではない」「話の順序がバラバラである」「話が本題から逸れていく」などと言ってしまいました。たぶん。そんな詰め方をするものだから母を萎縮させてしまったのを覚えています。数日が経ち、あの時は言いすぎたなぁと反省していたのですが、ふと思ったことがありました。あの時母に言ったことは、勝手に僕が今生活している環境での価値観にすぎないのではないかと。さらにいうと、会社で経験した知識やスキルといった物差しを、母に押し当ててなかったのではないかと…。その時はとても恥ずかしい気持ちになりました。
仕事場での経験でいかにも自分が成長したような気になって…そんなことでできたちっぽけな物差しを母に押し当てて偉そうにしている…。こんなになさけないことはないのでは…。
価値観なんてものは本当にちっぽけなものだし、簡単なことで一気にひっくりかえることがあります。わかりやすい例でいうと日本が経験した戦争もそうです。戦前、戦時中と戦後では、世の中の価値観なんか180度変わったといっても過言じゃないんじゃないでしょうか。
会社というものの性質として、大きく3つ挙げるとすると・・・
・人材に変えがきくこと
・同じ方向性をむくこと
・年齢
ということがあります。会社は個人で動いているものではありません。ある人が会社を辞めてもらうと困る!ってなると会社が回らなくなってしまうので、必ず人のバックアップを作ります。その人が辞めても代えがきくように(人材に変えがきくこと)。
そして同じ共同体としてプロジェクトに挑むことによりどんどんと同じ考え、価値観に染まっていきます(同じ方向性をむくこと)。さらに、そのプロジェクトを遂行するだけの能力が求められるため、そこにも似通った人材が集まることになります。つまりご年配の方、未成年の子供達、言葉の通じない外国の方々などなどは、その空間にはいません(年齢)。
そうしていくうちに、母を追い詰めた情けない価値観の物差しが作られていきましたとさ…。
別に凝り固まってもいいじゃん、そんなもんじゃん。という意見もあるかもしれません。それに対しては僕は全然否定はしませんし、人それぞれの生き方があります。ただ、僕はここに焦りを感じていました。一度しかない人生、この価値観だけでなく、もっと色々な価値観を知りたい。
会社勤めじゃない人はどんな考えをもっているんだろう、どんな感覚だろう。農家は?美容師は?画家は?おじいちゃんや子供達、はたまた外国の人はどうだろう。
それをもっと深めたい。そう思い休職が始まってまもなく、色々な価値観に触れる旅にでてみることにしました。