[エッセイ] 大河ドラマ「光る君へ」を楽しむ ──小さい発見・疑問と考察
大河定番の戦国時代ではなく、あまり知られていない平安時代の話ということで、期待半分だったが、楽しく拝見させていただいている。
前回、ちょっとした発見がありおもしろかった。
まひろが幼い娘に本を読み聞かせている場面だったが、そのお話は「竹取物語」だった。
まだまひろは「源氏物語」を執筆していないから、「竹取…」は「源氏…」ょり古いことになる。
なんだ日本最古の文学といわれる「源氏物語」より古い物語があったんだ、と思った。
もっとも著作のボリュームは比較にならないが、「竹取物語」だってしっかりしたストーリーがあり、古典SFとして立派な物語である。
「竹取…」の著者はだれなのだろう? 類似のお話は他国にもあるそうだ。
そう考えると「浦島太郎」「桃太郎」はいつ頃、どのような経緯をたどって生まれてきたのか、興味深い。
「山椒大夫」も時代的には平安時代だが、これは森鷗外の創作か。
はなし変わって、紫式部と清少納言が同時期、同世代、互いに顔を見合わせていたとは初めて知った。
「枕草子」「源氏物語」は姉妹のように近い関係の中から生まれたのだった。
和泉式部もこれから登場(もう出てきた?)ということで、平安文学は同時期に集中していたことがわかった。
「虫愛(め)ずる姫」なんて昔タイトルだけ習ったが、この姫もこのころだったのかな。
今回のこのドラマ、抱擁、キスシーンがたびたびある。
お堅い、品行方正なNHKとしては従来の殻を破ったか、破らされたか。
もっとも「源氏物語」は華麗な恋愛絵巻なので、今時そんなの当然といえば当然だが・・・
原作者の大石静さん、「やったぜー!!」といったところか。
この作者の新聞小説「四つの嘘」というのを昔読んだことがあり、とても面白かったのを思い出した。
平安時代、日本の人口はどのくらいだったのだろう。
現代より、はるかに少なかったとは思うが、そのなかで貴族たちは数パーセントもいなかっただろう。
貴族社会は、日本全体でみれば、ごく少数の一部特殊社会だったのだ。
文字を読み、書くことのできる人たちのサークルから生まれたのが平安文学だったといえる。
そう考えると、文字なんて見たことも書いたこともない、大多数の庶民達が、どのように会話していたのか興味がある。
漢字はもちろん仮名文字も読めない人が、よく会話できたものだ。
「年貢」「大納言」なんて音(おん)だけで理解していたのだろうか。
私たちが、アルファベットの文字も、単語のスペルも知らないで、英語で会話するようなものである。
造園的、デザイン的に映像から興味をひくのは、あの赤い太鼓橋である。
平らな橋ではなく、真ん中がふくらんだ太鼓になっていて、しかも赤い。
この橋の上を歩いている様子はないから、造園上のアクセントとして設置されていたのだろうか。
中国文化の影響とすると、唐王朝などにそのような見本があったのだろうか、おもしろい。 鎌倉の八幡神社の池にも太鼓橋がかかっているが、あれなどもその名残かもしれない。
ドラマはそろそろ「源氏物語」執筆にとりかかりそうである。
現代のようにワープロ、パソコンのない時代、すべて手書きである。
いくら俊才紫式部とはいえ、一発で仕上げ原稿が書けたとは思えない。
構想、ストーリー、モチーフ、アイデアにはじまり、書き換え、訂正、差し替え、修正、色々あったと思う。
パソコンなら、コピー&ペースト、修正等気軽なものだが、当時、紙と筆一本の作業であり、しかも消しゴムなんてない。
あの大部の小説をまとめるのにどれほど苦労したか、想像に余りある。
原本が出来上がってのち、何冊かコピーしたと思うが、これはこれで別途コピー要員がいたのだろうか、まさか紫式部本人がそこまでしたとは考えられないが。
経本などは写本という作業でコピーしていたから、同様に増版して貴族社会に流布していったのだろうか。
現代ならベストセラー作家として印税たっぷりだが、文学の誕生時代、まだ出版社はなかった。
本邦最初の女流作家のお話は、後半お楽しみである。