その目的を解決したならば去る
次はもっと難しい案件を共にやろう
私が一緒にやるプロジェクトや人材育成は、常にメソトドジーやプロセスを相手に使えるようにして、それが為したのならば、いつまでもダラダラと金をもらうのではなく去る。だって、人材育成ならばその担当者たちが育つことが良いことであるし、私がいなくても動けることがいいことだからた。同じく、プロジェクトもそうだ。
苦しいところを共に頭を悩ませてそのなかで自分たちの進むべきところを知ることを、否、自分たちで解決できるところを手伝うのが私たちの仕事なのだよ。だからこそ、できるようになったのならば、そう、泣いて笑いながら次にまた会おう、難しい案件で。
思いは常に実践から。
墨田区の3年間の研修、最初にお話ししたとき(まだプロポーザル前の年にこういうのがやりたいとお話を受けた時)から、今年のメンバーの卒業を見守って一つ思うところがある。それは、毎年、どうするべきかをぶつかり合いながらも進めていたところだ。唯一無二の解決策なぞない。常に、いいことをぶつかり合って発展していくことが大事なのだ。そんななかで毎年同じではなく、改良を続けて進めていけたのは非常に良いと思っています。ワシなどはいくら嫌われたりうるさいと思われてもいい、解決のために共に議論できる仲間がいるならばそのほうが大事だからだ。
理論だけではなく、実践の中でその力や変えるべきところを気がついて試していける。それこそが伴走型なのだと思うのだよ。ワークショップ型でやることを伴走型とは言わない。だって、親友とは喧嘩をすることもあろうよ。そういうことをやれるところとやるがいい。
人の多寡ではない
では、ともにやってくれる人が多ければいいか。そんな、金太郎飴みたいな、誰がきても同じようなところをで手伝って欲しいのならばそれでよかろう。私は、必要なときに、差し込んでくれるときに光でもあるし、ときにナイフのような本当に意味のある支援をしたいと思うておる。ハチのように必要なところを飛び回ることで支援をしたいのだよな。
自治体さんと話しているときに出てくるような、てにをはを死ぬほど当たり前に突っ込んでくるように、デジタルのお作法を突いてくるような担当者(多くは人海戦術では新人の人)をつけるのもいいのかもしれない。
だけれども、頭を殴られたようなマインドチェンジがそれでできるだろうか。そういうのことを考えてパートナーを考えていけばいいのだよ。
なので、終われば去る
厳しすぎて合わないのであれば、合う人を合わせばいいし、今依頼を受けた内容ができるようになったなら、もう私は同じ仕事を受けることはしない。
いつでも、新しいことをやろう。そこに、未来や困りごとがあるならそれを一緒にやりたいのだよ。
今の私の話そのものをやりきれない、それでいいのだ、数年かけてやり切った後に、また、次の夢を一緒にみさせてくれ。
結論を出したら去る。次は、もっともっと面白い仕事を一緒にしよう。そういう仕事をやり続けたいのだ。