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『夏葉社日記』にやられた日


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 『夏葉社日記』は、この本の著者でもある秋 峰善さんが一人で運営している秋月圓という出版社の刊行第1号となる本である。
 本の冒頭は、当時の著者の上手くいっていない状況の報告と、夏葉社という一人出版社の先駆けを運営している島田さん(秋さんの憧れの人)への熱い思いが綴られた手紙を写した文章が続く。
読み進めて行くと、ある行の文章にガツンとやられてしまった。

 一所懸命にやろうとしていることが、実際に一所懸命やることよりも、私にとっては価値のあるものです。                                             

『夏葉社日記』p15

人によっては禅問答のように感じられるかもしれないが、自分には感覚的に「来た」と感じるものがあった。 
続くこちらの文は前行の文をもう少し分かり易くかみ砕いた感じだろうか。

うまくできないこともあるのが人間で、それでも果敢にチャレンジしていく姿に私は心を打たれるんです。

『夏葉社日記』p15

この2つの文章が奇しくもこの本の著者についてと、この本の魅力についても語っていると思う。

『夏葉社日記』のもうひとつの魅力は、秋さんの「師匠」である島田さんの名言だ。

需要があって、モノが生まれるんじゃないんです。モノができて、需要が生まれるんです。

『夏葉社日記』p65

これだけなら、なんだかやり手の営業マンみたいだ。だが、この文章の後はこう続く。

だから、いいモノを作って待つ。本がすぐに売れなくても、ジタバタしない。 ~ 中略 ~ 一〇年、二〇年、三〇年かけて、必要な読者に届ければいいんです。

『夏葉社日記』p65  

本気でなにかを制作したり、表現に関わることをしてる人なら、たとえすぐに売れなくても「いいモノ」を作りたいと思って活動しているはずだ。 
だがビジネスの世界では逆に、より早く、より多く売るのが良しというのが主流であろう。 

それに対して、島田さんはこの言葉を単なる「理想」ではなく実践し、商業的にも成立させているのだ。

「日の当たらないひとたちのため、ですかね。テレビではなくて、ユーチューブでもなくて、そういうところに本とか小説があるような気がしているんです。~ 中略 ~慈善事業とかそういう意味ではないですよ」

『夏葉社日記』p162

本をつくるのであれば、「読者のために」から離れてはならない。いつだってその目的に立ち返る。迷ったり焦ったりしても、かならず振り返る。島田さんはそれを「果敢に留保すること」といっていた。

『夏葉社日記』p180

だれかの理屈にあわせて、期限を決めたりはしないようにしています。大切なのはスピードではないと思うんですよね。~ 中略 ~理屈というのは理屈で勝手に動いていきますから」

『夏葉社日記』p163~164

しびれる言葉が次々と現れる。言葉の低周波治療器である。

この本で描かれる島田さんは「師匠」と聞いてイメージされる縦の関係性、ある種の理不尽さを含むマッチョなホモソーシャル性を求めてくることはない。
もっとも「師匠」というのは秋さんがそう呼んでるだけなのだが、10歳くらい年齢が離れていて出版社に関する仕事の教えを乞う秋さんに対して、島田さんは「やさしさ」とも取れる言葉をかける。

僕がモタモタと準備に手間取っていると、島田さんは「ゆっくりでいいですよ」と声をかける。そして、なにもいわずに待っている。

『夏葉社日記』p34

島田さんは「何回失敗しても、大丈夫ですよ」というが、このカバーと帯だってタダではない。

『夏葉社日記』p56

「よくあることなんです」といってくれたが、そんなことはないだろう。島田さんがひとりでやっていたら、そう起こるはずがない。

『夏葉社日記』p59


しかし、それは自身を慕ってくれる秋さんに対して気を良くして、甘く接しているわけではなさそうだ。  
多分、秋さんを一人の後続の同志として、柔らかい生まれたての生き物を育てるように接しているだけなのだと思う。 
 
 たった一人の人間が自身の心のままに動こうとしただけで、世の中には厳しさが溢れている。 
 志を持ってこれから何か切り開こうとする者は、その意に反して停滞してしまったときに自分自身を切り刻んでしまうようなことが往々にしてある。
 
そういったことを潜り抜けられるように、島田さんは自身が踏み均して作った道を(踏み均せば道は作れるということも含めて)秋さんに教えている様に見えた。

自分ひとりで働くペースというのが完全にできあがっていましたし、がんばれば、業務もなんとかひとりで回すことができていました。それでもどうして、ひとを雇ったかというと、篠田さんも書いてらっしゃるように「年下の人たちの存在に希望を感じる」ようになったからです。~ 中略 ~ ー 望星二〇二一年五月号(一〇四~一〇五ページ)

『夏葉社日記』p160

営業をしていると、会社をはじめた一〇年以上前は、書店員さんの半分以上はぼくより歳上だったけど、いまは半分どころじゃなくて、ほとんどが歳下ですね。そのときに、やっぱり彼らに教わることのほうが多いし、彼らに助けられている。~ 中略 ~ ー 本こたラジオ(#06 2021.5.4)

『夏葉社日記』p160~161

そして『望星』はこう締められていた。
                                          
 ぼくは年上のひとたちから教えてもらったことを残さず秋くんに伝えたいと思いますし、ぼくも可能なかぎり、秋くんから学びたいと思います。(一〇七ページ)

『夏葉社日記』p161

「こんな理想的な人間関係がこの世に存在するなんて。」 この本を読んで好きになった人は誰もがそう思うだろう。


 さて、ぼくはどんな本をつくりたいのだろう。ぼくはこの社会の「くさいものに蓋をする」という文化がきらいだ。一度でも挫折や悪いことをすると、二度と立ち上がれないような社会は息苦しい。~ 中略 ~
ぼくは自分のために自分が見るのも聞くのも苦しくて辛いようなものだとしても、受け入れ認めたい。

『夏葉社日記』p191~192

これから秋さんの出版社、秋月圓からどんな本が生まれるのか楽しみだ。


それにしても、かつ丼が食べたくなる本である。(未読の人は是非とも読んでみてください。お腹が減ります。)


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