前回の話はこちら
⇩
『夏葉社日記』は、この本の著者でもある秋 峰善さんが一人で運営している秋月圓という出版社の刊行第1号となる本である。
本の冒頭は、当時の著者の上手くいっていない状況の報告と、夏葉社という一人出版社の先駆けを運営している島田さん(秋さんの憧れの人)への熱い思いが綴られた手紙を写した文章が続く。
読み進めて行くと、ある行の文章にガツンとやられてしまった。
人によっては禅問答のように感じられるかもしれないが、自分には感覚的に「来た」と感じるものがあった。
続くこちらの文は前行の文をもう少し分かり易くかみ砕いた感じだろうか。
この2つの文章が奇しくもこの本の著者についてと、この本の魅力についても語っていると思う。
『夏葉社日記』のもうひとつの魅力は、秋さんの「師匠」である島田さんの名言だ。
これだけなら、なんだかやり手の営業マンみたいだ。だが、この文章の後はこう続く。
本気でなにかを制作したり、表現に関わることをしてる人なら、たとえすぐに売れなくても「いいモノ」を作りたいと思って活動しているはずだ。
だがビジネスの世界では逆に、より早く、より多く売るのが良しというのが主流であろう。
それに対して、島田さんはこの言葉を単なる「理想」ではなく実践し、商業的にも成立させているのだ。
しびれる言葉が次々と現れる。言葉の低周波治療器である。
この本で描かれる島田さんは「師匠」と聞いてイメージされる縦の関係性、ある種の理不尽さを含むマッチョなホモソーシャル性を求めてくることはない。
もっとも「師匠」というのは秋さんがそう呼んでるだけなのだが、10歳くらい年齢が離れていて出版社に関する仕事の教えを乞う秋さんに対して、島田さんは「やさしさ」とも取れる言葉をかける。
しかし、それは自身を慕ってくれる秋さんに対して気を良くして、甘く接しているわけではなさそうだ。
多分、秋さんを一人の後続の同志として、柔らかい生まれたての生き物を育てるように接しているだけなのだと思う。
たった一人の人間が自身の心のままに動こうとしただけで、世の中には厳しさが溢れている。
志を持ってこれから何か切り開こうとする者は、その意に反して停滞してしまったときに自分自身を切り刻んでしまうようなことが往々にしてある。
そういったことを潜り抜けられるように、島田さんは自身が踏み均して作った道を(踏み均せば道は作れるということも含めて)秋さんに教えている様に見えた。
「こんな理想的な人間関係がこの世に存在するなんて。」 この本を読んで好きになった人は誰もがそう思うだろう。
これから秋さんの出版社、秋月圓からどんな本が生まれるのか楽しみだ。
それにしても、かつ丼が食べたくなる本である。(未読の人は是非とも読んでみてください。お腹が減ります。)