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ある当事者の告白              『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』(太田出版)刊行記念 松本俊彦×横道誠×信田さよ子トークイベントに行くまで

             

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(※以下、依存症当事者、関係者にはフラッシュバックを起こす可能性のある表現があります。)





自分は酒を飲むことをやめてから1年が経った。やめようと思ったきっかけの一つに『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』の元になった、『酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡』を読んだというのもある。

この連載の初期の方で、精神科医の松本俊彦さんが「自己治療仮説」というものを紹介されていたが、その段を読んだとき、今まで自分の中でつっかえていたものが外れた気がした。

 思うに、彼らをその薬物に駆り立てているのは快感ではありません。というのも、快感ならばすぐに飽きるはずだからです。おそらくそれは快感ではなく、苦痛の緩和なのではないでしょうか? つまり、人は、かつて体験したことのない、めくるめく快感によって薬物にハマるのではなく、かねてよりずっと悩んできた苦痛が、その薬物によって一時的消える、弱まるからハマるのです。快感ならば飽きますが、苦痛の緩和は飽きません。それどころか、自分が自分であるために手放せないものになるはずです。

 『酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡』            第2回  ヘイ、マコト(松本俊彦)   ひとはなぜ依存症になるのか?――自己治癒仮説


酒の味も二の次にして、毎日飲んでいた自分の心境にここまでぴったりと合う文章に出会ったことはなかった。
なぜ自分が酒を飲んでいたかというと、一日の終わりを迎えても張りつめたまま解けない緊張が飲むごとにほぐれていって、重くなった身体がふわっと軽くなるから。飲まないと夕飯を口にする気も起きなかった。

依存症あるあるだが、自分が依存症の状態であることをなかなか認められなかった。二日酔いの日は月に1、2回あったが、飲み過ぎて次の日に仕事に行けないというようなことはなかったから。

それまで、自分の好きな書き手で二人ほど毎日浴びるように飲んでたのをやめたというのを読んだが、全然自分には参考にならなかった。
そこに書かれていた飲む理由が「ただ何となく」といった曖昧なものであったのもあるが、特に反感を抱いたのは「日常で煩わしい人間関係や我慢していることをやめれば、酒をやめられる」「身近に酒を置かなければ飲まないでやり過ごせる」という主旨の文章で、それを読んだときに「それができたら、苦労しねぇよ」と毒づきたくなった。
一日の終わりに飲まなければ、自分の中に溜まった重苦しくて嫌なものがリセット出来なかった。

 こうした観点は依存症臨床ではよく知られているものです。かつて米国の依存症専門医エドワード・カンツィアンは、「依存症の本質は快感ではなく苦痛であり、人に薬物摂取を学習させる報酬は快感ではなく、苦痛の緩和である」と指摘し、「自己治療仮説」という考え方を提示しました。この自己治療仮説は、私たちに依存症の本質を教えてくれます。それは、依存症は確かに長期的には命を危険にさらしますが、皮肉なことに、短期的には、今いるしんどい場所や状況に踏みとどまり、「死にたいくらいつらい今」を一時的に生き延びるのに役立つことがある、ということです。

 『酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡』        第2回  ヘイ、マコト(松本俊彦)   ひとはなぜ依存症になるのか?――自己治癒仮説 


赤坂真理さんの『安全に狂う方法』でも書かれていたような「相手か自分を殺す」(比喩から言葉そのままの意味まで)というような思考や衝動を抑えるために飲む。
本人は「困りごと」を抱えているのでデメリットも大きいのだが、周りからはメリット(大体は経済的なこと中心)の方が大きく見える「現在の生活」を放り出さずに維持するために飲む。

飲むことで、自分の心のままに現実を変えていきたいと思う気持ちや体力も削っていたと思う。でも、そうしないと「現在の生活」は維持できなかった。自分でどこまでが自分の中での限界かも判断できずに、適応障害で前職を辞めることになる少し前から、日中の自分の手が微かに震えているのに気がついた。

適応障害の診断を出されたメンタルクリニックで飲酒に関する相談もしたところ、「本人の気持ち次第」として片付けられてしまった。甘えているだけだという訳だ。似たようなことは前職の健康診断のときに産業医にも言われた。
自分は「困りごと」を抱えていた。しかし当時、周囲の人間に話してみても自分の「困りごと」は解決どころか理解もされなかった。
そんなときに読んだのが先の『往復書簡』だったのだ。しかし、これだけでは、まだ飲酒のことで医療につながろうとは思わなかった。

メンタルクリニックでの対応で意気消沈していたのと、自分の考え方に偏りがあるのかと本や YouTubeで発達障害やパーソナリティ障害について調べているうちに「社会というのはそんなに間違いはなく、あるいは間違いがあったとしてもなかなか変わるものではなく、ひたすら自分を変えるしかありません。健康な人はみんなそうしています。」(大意)というような精神医療関係者の発言が目立ったからだ。

確かに医療が扱うのは個人の心身の状態であって、環境や社会ではない。
しかし、物事には個人の捉え方次第の部分もあるだろうが、客観的に考えてもそれは違うだろうと思うこともあって、そういったこととの折り合いのつけ方は精神医療には用意されていないと感じた。ひたすら自分が折れるしかないのでは、振りだしに戻って堂々巡りするしかないように思えた。

そんなときに信田さよ子さんのある記事を読んだ。以前から信田さんは依存症とその家族の問題に詳しい専門家というのを X(当時はTwitter)で知り、既に幾つか関連記事を読んではいたが、この記事での言葉は自分の中で影響が大きかった。

信田:私の考える「弱さ」って、構造上の問題なんです。たとえば、非正規雇用者はなかなか手取りが上がらない状態を強いられているし、女性が男性と比べ、社会の中で不利な立場に立たされているのも長年変わらない。そういった不平等や差別を受け、構造的に感じざるを得ないものが「弱さ」だと思います。カウンセラーが個人に「弱い」と言うと、その構造に加担してしまうことになりかねない。だから私はこの言葉は使わないようにしています。

弱さは個人の問題ではなく、構造上の問題だ。公認心理師・臨床心理士 信田さよ子さんと考える“弱さ”のこと

信田:たくさんいらっしゃいます。「弱いから、なかなかノーって言えないんです」とかね。中には、「組織の中の声の大きい人に従わなくてはいけなくて、つい不満を抱いてしまいます。自分で自分の感情をコントロールできないなんて、私は弱いですよね」みたいなことをおっしゃる方までいる。ノーって言えないのも組織の中で力を持った人に従わざるをえない立場なのも、本人の問題じゃないですよね。あくまで構造上の問題じゃないですか。

弱さは個人の問題ではなく、構造上の問題だ。公認心理師・臨床心理士 信田さよ子さんと考える“弱さ”のこと

依存症治療の世界にもわかってくれる人はいる。もう一度メンタルクリニックを受診することと、断酒をしようと決心する後押しになった。

以前行った所とは別のクリニックに予約して診断を受けた。他のクリニックに通院しながらのセカンドオピニオンは受け付けていなかったが、前のメンタルクリニックに行ってからは一年近く経っていたので、該当せずと見なされ問題なく予約が取れた。
自分は発達障害の可能性はほぼ無いが、複雑性PTSDの症状が出ていると診断され、その治療薬を処方された。
アルコール依存症の診断も出た。とりあえず一番の障害はアルコール依存とのことで酒は控えるように言われた。処方された薬は飲酒時には服用できないので、断酒する動機が増えたのもよかった。

自分が飲んでいる薬にはアルコール依存症には効果がないとの説明だったが、薬を飲み始めると割と難なく断酒を続けられた。やはり、自分は「自己治療」のために酒を飲んでいたのだと思った。
酒をやめた代わりに、先を見越しての経済的なことやコロナ渦の影響で控えていた、自分の趣味だったことや興味を持ったことも少しずつやり始めた。(今まで抑えていた分、酒を飲んでたときの酒代よりも出費は嵩んでいったが。)


今年のゴールデンウイーク中のある日の夕方、本を買いに行こうと思って下北沢のB&Bに向かった。
ろくに下調べもせずに行ったので、店に着いたら既に本屋の営業は終了していた。事前に調べずに来たので仕方ないと、諦めて帰ろうとしたときに店頭にあるその日の夜のイベントの看板が目に入った。
信田さんの名前がそこにあった。

ダメもとで当日券はないかとカウンターにいる店員さんに聞くと、なんとあると言う。即、購入してイベントに参加した。 メインの登壇者は上岡陽江 さんという方で、『生きのびるための犯罪(みち)』という本の刊行イベントだった。上岡さんはダルク女性ハウス代表で、信田さんとの共著もある。
上岡さんの話は共感できる箇所も多く、長年、依存症と向き合って生きてこられたエピソードは参考になるとともに、尊敬の念を感じずにはいられなかった。

イベント終了後、上岡さんからサインをもらいながら「自分はアルコール依存で」と話し始めると、真剣な表情で「うん、うん」と相づちを返してくれた。サインに「仲間へ」という文字と「もっと書いちゃう」とたくさんのハートマークを書いてもらった。単純に嬉しかった。

仲間に入れてもらえた。ハートがいっぱい。


信田さんにもサインをもらう。「自分はアルコール依存で、今日は偶々 B&Bに来たんですけど、看板を見たら信田さんのお名前があったので。」と言ったら、信田さんは「ハイヤーパワーってやつでしょうか?」と言ってニコっと笑った。

AA、アルコホーリクス・アノニマス(クリスチャンの当事者が発祥のアルコール依存症の自助グループ)では、神に自分を委ねることで依存から回復を目指すという。「ハイヤーパワー」は神と同義語で、特定の信仰がない人に神的な存在をイメージしてもらうために使う。
これは全てのことを自分の力だけで解決しよう、全ての結果は自分の責任であるとの強い思いが依存症に陥る原因の一つなので、自分に関わることは全て自分でコントロールできる、しなければならないという考えを手放すためだ。
横道誠さんはこれを、酒から信仰への「依存先の振りかえ」とも表現している。「より安全なものに依存すれば良い」というハーム・リダクション的発想だという。(スピリチュアル、カルト的であるとして、こういった方法に頼らない人、自助グループもいる。自分も今のところ採用していない。)


「家族や周りに、甘えているとか意思が弱いからだと言われて…」と自分が言うとすぐに「そんなことは絶対にない!」と信田さんは答えてくれた。
こんなに自分を肯定してもらったことは今まであっただろうかと思い、感激し、勇気づけてもらえた。

ハイヤーパワーを信じてなくても、こういう偶然が起きた。



前置きが長くなってしまったが、下北沢 B&Bでの横道誠さんと藤澤千春さんのトークイベントに引き続き、代官山T-SITEで行われた『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』(太田出版)刊行記念 松本俊彦×横道誠×信田さよ子トークイベントに行ってきた。

自分が断酒するきっかけとなったお二人と、自分がよく読んでいる本の著者である横道さんが揃うというのだから、見逃す手はない。

当日は小雨が降る中、代官山に着いた。慣れない場所で道に迷ってしまって、イベント開始から数分経ってから会場に入ったが、まだ話は導入部の自己紹介などだったらしく、自分が席に着いた頃から本格的な話が始まった。

本にも収録されている松本さんのエピソードに、依存症の学会で信田さんに自分の靴を踏まれて萎縮するという話があるのだが、自分は信田さんが近寄ったときに偶々靴を踏んでしまって、それに気付かなかっただけではないかと思っていた。話としては面白いので質疑応答のときに実際はどうだったのか聞いてみようなどと思っていた。

だが、質疑応答のときまで待つまでもなく、本編でこの「靴踏み事件」の話題が出た。松本さんが連載でこのエピソードを書いてからというもの、信田さんは行く先々で「松本さんの靴踏んでるんだって?」と聞かれたらしい。
結論から言うと、信田さんは「わざと」踏んでいた。しかも複数回に亘って。松本さんの履いていた尖った靴の先を見たら、なんか踏みたくなったらしい。(「先は空洞で足の指はないでしょ?」とのこと。)
その後、松本さんは「まるで靴が○○○みたいな」とか、信田さんは「相手が女性でも○○○〇なる」など、気心知れたお二人のグレーゾーンから、ぎりぎりアウトなラインの間を行ったり来たりする応酬で会場は沸いた。

イベントの中盤、ある方の話題になったところでタイミングよく外で雷が落ち、稲光が会場を取り囲む大きな窓ガラスから差し込む。「○○さんが怒っている」と信田さんが言って会場に笑いが起こった。

日本の依存症治療の歴史の話など濃密な内容を交えながらも、気が付くとあっという間にイベントは終わり、サイン会へと移行する。しかし、信田さんはサイン会は辞退するという。
B&Bでのイベント以降に買った信田さんの著書も持って来ていたので残念に思いながらも、横道さんと松本さんのサイン会の列に並ぶ。

自分の番まであと5,6人というところでふと、列近くのスペースを見ると、信田さんが来場者と会話しながら本にサインをしているのが見えた。
壇上でのサイン会はしないが、個人的にお願いするのは「有り」のようだ。
もう少しで自分の番が来るので、とりあえず先に横道さんと松本さんのサインをもらえるのを待つ。

『酒をやめられない ~ 』には B&Bでサインをもらったので、別の本にサインをもらう。
松本さんのサインで、著者2名と編集者1名のコンボ完成。



メインのお二人のサインをもらったあと、信田さんのいる所へ行き「サインを頂いてもいいですか?」と聞くと快く受けてくれた。

いただきました。

サインを書いてもらいながら、 5月に B&Bで行われたイベントにも行っていたことを信田さんに伝える。

自分  「 5月の B&Bのイベントにも行きました。偶々行ったら信田さんの出られるイベントで…」
信田さん「あ、偶々来たって、覚えてる!たしか、少年院に入ってたとか…」
自分  「いや、自分は入ってないですね。」
信田さん「失礼しました。」
自分  「いろんな方がいらっしゃるでしょうから。覚えていていただいて嬉しかったです。」

こんなやり取りのあと、サインを頂いたお礼を言って会場を出た。
他の人と記憶が混ざっていたとはいえ、信田さんに覚えてもらっていたことが嬉しかった。



外に出るとイベント中に本格的に雨が降っていたらしく、地面はしっとりと濡れて黒光りしていた。
3冊の本を脇に抱え、雨上がりの代官山を後にした。


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