誰と話すか
数日前 息子のように可愛がり
母と慕ってくれる大学生と飲みに行ってきた。
二軒目はずっと行ってみたかった
魚メインの居酒屋
そこで食べた銀鱈焼きは
分けたら一口しか食べれないサイズながら
インパクトは最高だった
また行く٩( 'ω' )و
その日若者との話は
・他者とのコミュニケーションに悩みを抱えている
・その現状をどうにかしたい
・漠然と自信がない
この様な思いを抱える人にも
ヒントになる可能性があるかも?と思い 書いてみることにする。
何を食べるか、よりも
誰と食べるか
が、大事だとよく聞く
食べ物を「話」におき変えても
そうだと思う。
何を話すか、よりも
誰と話すか
話すことはストレス解消とも言われるが
解決すべき問題、
課題に向き合う場合
相手のキャパ、レベル次第では
悩みや問題が
望まぬ方に膨らむか
解決するか
大きく変わると思うから。
(現状脱却を望む場合に限る)
前回
髪を切りに来てくれた時の話が終わらず 保留した
A君のモヤモヤ話の続きから始まった
A君は今
複数の集団をまとめる立場となり 悩みが出来るたび心のうちを話してくれる
理想的と感じる過去の体験を
同じように他者へ再現してあげたいと試みるも
"上手く思う様にコトが運ばない"
"思った様な反応じゃない"
結果や相手に
どう付き合ったら
どう距離を持ったらいいかわからなくなり
心にモヤモヤが出来てしまうんだそうだ
記憶と実際の現象、結果の違いに
戸惑いながら
"理解"しようとするも苦しいという。
フィルター、解、正解、不正解
という言葉を駆使して話す姿は
分厚い鉄の
それも小さな箱の中にいる様に見えた。
流れゆく時や人
その中に存在している自分の
(相手もそうだ)
存在そのものを
当たり前過ぎて自覚せず
視点を移動させずに
起こる物事を限定的に
自分の理想論だけで捉えすぎて
苦しむ人は
美容師として日頃話を聞く際にも少なくない。
面倒見の良い
人の気持ちに寄り添える
良い奴なんだよな、って微笑ましく思う反面
そろそろ
その箱から出る時期だよなぁ…と見守っている。
捉え方を変える段階は
誰にでも訪れるはずだが
意識的にそれを気づき
受け入れないと
必ずしも他者と関わり合う
人生という長い迷路は複雑化する
のかもしれない
見方によっちゃあ、、ね。
もう一人のB君はというと
自分の気持ちを解決するためなのか属す集団を都度変えて
周りの意見をよく聞く姿勢を見せながら
自分にとっての最良と
他者とのバランスを重視して
結論をじっくり決定せずに
成功させる方法を模索しながら活動している
自覚はない様だが
じわじわと力をつけている様に見える
A君曰く
同世代の他者から見たら
B君のことは(二人は同級生)
じっくり過ぎる、もどかしいと捉えられるようだ
個性の違う二人を眺め
同じように付き合う随分歳上の私からみたら
B君の物事への向き合い方、
それに伴う成長は
私との付き合い方の変化全てに見られて
ある種の尊敬と気づき
時に感動すら感じながら眺めている。
A君と私は
目の前のターゲットを決めると
爆発的なエネルギーを発揮し
即座に動くタイプで
どちらかというと
自分より他人が喜ぶことを選択しがちの
ともすれば自己犠牲にすら気づかない情に厚く
熱い感情型タイプ
B君は
ターゲットが決まっても
相手はもちろんだが
自分の気持ちにすら距離を取り
じわ〜っと前や後ろや斜めや
離れたところからよぉく見て
しばし観察し厳正なる判断の元
自分の心地よさ、安定感をきちんと選び保ちながらも
他者とバランス良く関わろうとする良くも悪くも
温度の上がらない冷静沈着タイプ。
この三人の関係は
「意見や思想は同じでは無い」
「自分では思いつかない発想や視点」を
不思議と初めから
自然な形で受け入れあい
対立する意見を時には持ちながらも
尊重し合える関係性を築けたとよく話す
互いに一生の付き合いになるだろうと何処かで思っている様子だ。
様々な話へと展開させながら
互いに思うことを
いつもの様に率直に議論しあう
結局は
『人間関係の話』になったが
A君が自分の気持ちをきちんと伝えられず モヤモヤに蓋をして
悩んだり苦しんだりしているのは
「自分の"理解"のキャパを超えたものが当たり前に世の中には在ること」
を 受け入れる前に
今の自分の理解の型にはめようとするからだと着地した。
型に当てはめたいなら
型も 数を知らねばならんし
数だけ経験しても
相容れないとしてしまうだけなら
学びのチャンスを逃すことになるのかもしれない。
そのこだわる『型』自体に仮説を立てて
客観的に検証する必要は時としてあるのではないか?
そしてその解せない気持ちに
「解」があるとしたら
自分以外の「在ること」を
知るだけでも
正解も不正解も無いこと、
世界って箱の外にあるんだーって
気づくかもね
仮に不正解だったとしても
都度 解決の糸口や
キッカケに一歩ずつ近づこうと
向き合い努力することが
人間関係や何かコトを運ぶ時に
「型」や「解」よりも必要な事なのでは?
着いたり離れたりは必然の
「縁」なのでは?
守りたい、が押し付けになったら
苦しいよ。
各相手に聞いてみれば良いのに、と二人で促すと
A君は「結局、俺が傷つきたくないんだよなぁ」と言い
聞くのが怖いんだそうだ。
悲しませないかな、とか
嫌な気分になったらどうしよう
とか
考え出すと口にする事ができなくなる。
よくよく聞くとそれも
すごくわかるし
そうだよね こわいよね
とは思う、、けど
気持ちをちゃんと話もせずに
勝手に決めつけられたほうが
傷つく
事ってあると思うよ
嫌われたくない意識が強いと
拗らせる
典型はこのパターンじゃないだろうか?
(自分もコレにハマって苦しかった経験はある)
そんな過去から学びを得ると
なんだって諸行無常だし
イレギュラーがレギュラーだと捉えられる余裕も持てる
すると何が起こるか?
真逆の世界に展開できる
…なんてな!
知らんけどっ( ・∇・)
視野の狭さ
決めつけ
押し付け
期待
承認欲求 などなどが
自分を含め誰にでもあることを
ただ受け止めた上で
自分と誰かの
目に見えない『思い』の部分を
勇気はいるけど
話し合いや何かしらで
すり合わせたらいーんじゃないの?
話し合いが出来ないなら
互いに何か 足りないのかもね
てな具合で盛り上がり
A君 vs B君と私 という構図となる。
B君と私は同じではないが
シンプルに共通理解の部分が多い
「嫌われる勇気」についてもそうだ。
実績を元に
貫くべき主張なら意見を述べ
(述べ方には配慮反省するのは当然で)
結果
話の通じない"レベル"からなら
嫌われても構わないし、
もう追わない
と紆余曲折の結果 思える様になった私
そもそも嫌いな人とは関わりもしないし
嫌いな奴からは嫌われたって
全く構わないし動じない、というB君
(ステキっ)
私とB君、
違った視点ながら共通で
オリジナルの経験から構築された
「嫌われる勇気」を持つ強さ
に対し
どんな人にも嫌われたくない意識が強いと自覚しながら
それを誰にもバレないように
理解のあるフリを演じ続けちゃって
モヤモヤを増幅してしまうA君
どっちが良いか悪いかではなく
「嫌われる勇気」を持つか持たないかで
人間関係の作り方、そこから得るもの
日々抱く感情意識レベルなどから
大きく人生を左右する
よね?(・∀・)??
結論
トライ&エラーをどれだけ体験したか
立ち向かう事や諦める事が
寄り添うこと容認する事へと変わるものだと実感する事で
結果や捉え方 抱く感情、理解度、深さ
つまり視野は変わるし
変えていい
思い込みや決めつけを持ったまま
「理解できない」とモヤる気持ちを
一旦 端に寄せて
型で理解しようとせず
まずやってみたら?と
二人でA君に促す。
「怖いんスよねぇ〜」
と言ったかと思えば
「いや、そぉっスよねぇ〜」
と
乙女心でなくとも
秋の空の様に変わるのだ。
なかなかの白熱討論となったため
わかるよ、
わかるけど わかんねぇ
(-_-)
とお手洗いに席を立つ
戻ると
何故か相対性理論とそれら?みたいなのを例にB君がA君に
真剣な顔で一生懸命説明するところまで発展していて
この人達…∑(゚Д゚)
おもしろすぎるっ
帰りたくないっ
・:*+.\(( °ω° ))/.:+
と内心ワクワクしながら若者の話を聞いていた。
B君の例え話は
宇宙の話から
普段から私がよく話す
見えないものの話になり
理解のキャパを超えたのかA君は
「うぅ〜ん」と唸り始めた。
切り口を変えてみようかと
彼らと会う前 観てきた
目に見えないものを扱う今期ドラマ
「全領域異常解決室」の台詞
ここのネタにメモったものを
丁度いいと思い二人に見せた。
B君はニヤリと笑い
A君はさらに唸った。
ご存知でない方はこちらをどうぞ
↓
私はNetflixで見る派だが
竜也と会えると思うと
うふふな話だ。
劇中で竜也はため息をつきながら
と新人に呆れ顔で言うのだが
「言われてぇ〜っ!!」と
今でも尊敬し続ける正統派?激しめ上司が多かった私は
キュンキュンしちゃう(≧∀≦)
はっ!(°▽°)!!
全くもって、余談でした
失敬。
私にとって成長の糧となる
"メッセージ"は子供の頃から
本や映画など作品の台詞や映像から受けることが多い
在るコトを自分にとって都合よく
無いと押さえつけて
都合のいい解釈をするあまり
ズレを見つけると袋叩きにしようとする
周りのオトナや同級生達よりも
一人で見る文字や映像
その音声と間合いから得る内容からは
自由度の高さ奥行き、納得と
希望を持つことが出来た
そんな私は
リアルに人に触れる
美容師の仕事を通して深く思う。
あるをないとしてしまうのは
生きづらさを生むではないか、と。
そんな私も実はかつて
A君と同じ
鉄の小さな箱の中で
あーでもないこーでもないと
思い込みや決めつけからの不安に苦しんだ一人だ
だから彼に言いたいことはあるけれど、
タイミングもあるし
お節介だとお口にチャックで
尊重の心を持って待つことにしている
彼の他にも思い当たる複数の若者達含め
どう成長しようと
応援すると決めているが
重くて固い扉の鍵を開けることを
他人が手伝えても
最後は自分で押し開けないと
意味がないからだ。
じゃあねと別れた帰り道
たぶん誰も突っ込めない角度と鋭さを欲しがる彼らには引き続き
奢らず与え過ぎず
人生を各々が好きにやれるように
老婆心ながら
ちょいちょい遠慮なく
自分の意見を
ぶっ込んでいこうと思った。