『白鴉』外部合評とプログレとブリコラージュと『イニシェリン島の精霊』と『MFE 多焦点拡張』と大江健三郎と3月3日と
今日は『白鴉』33号の外部合評だった。掲載順で行なわれ、途中、某作のときに『怒りの葡萄』の壮大なネタバレを食らいつつ(積みっぱなしのほうが悪い)、休憩後にまずは「バケモン」、そして「うまれるところ」。古代ギリシャ研究家藤村シシン氏を見習って、他人の解釈を(できる限り)否定しない方針でいたが、そもそも私自身が読者にミスリードを誘う罠を仕掛けるのが好きという、性格の悪い作者なのだった(そしてそれは時に主人公に向けられたりもする)。感想やら評を聞いているうち、「バケモン」はかっこいい編曲をしてたのかとか、「うまれるところ」ではシモンの『三枚つづきの絵』みたいなことやってんなとか、私はこの作品でブリコラージュ作ってたんだなとか、最新の小説とかまったくと言っていいほど追えてないけど、さいきんの純文学系の傾向出てるのか、この作品、とかいろんなことを気づかされたり考えさせられたりした。「バケモン」のときに、一人称だと簡単に書けてしまうのはわかってるし、簡単に書けたものなど読みたくないし、などという、だいぶエラそうなことを言ってしまいもした。
終了後、上階の店で二次会。私の作品はプログレであるという言葉をいただき、よくわかってなかったのでいま検索したところ、プログレの特徴としては「曲が無駄に長い。変拍子多すぎ。意味わかんない転調。複雑な楽曲構成」ということらしい。なるほど。長さ以外は合ってるかもしれない。とにかくここ数年私の作品が音楽譬えされる場面が増えていて、音楽的なものに縁がないと思っていただけに喜ばしいことなのだった。
帰り、映画『イニシェリン島の精霊』の説明をホラーっぽさを与えないですることが不可能だった。芸術志向おじさんが片手の指五本全部落としてそれを絶交したい主人公おじさん宅のドアに投げつけ、そしてそれを驢馬が誤嚥してしまう作品、なんて言ってはそりゃそうだ。指を落とすためのでかい鋏を銜えて用意してあげるお利口な犬の表情がとてもかわいい(劇場で笑いが起きていた)というのを言い忘れていた。動物たちがとてもいい仕事をする作品なのだった。
外部合評日の朝、あの企画がついに完成を迎えた。〈奄美ー沖縄ー琉球〉研究センターより発行のweb雑誌『MFE 多焦点拡張』第3号に「私小説とラップ」掲載されております。エッセイです。無料で読めます。ラップって私小説とやってることほぼ同じだよな、とか適当なこと常々考えていたのを文章化しました。古井由吉が中村文則との対談で、これからは韻律が復活するのではとか言っていたらしいのを使おうと思って対談集を買って読んでみたけど、けっきょく使ってはいない。そこまで検証したらよりいっそう面白くなっていただろうな。
先日、3月3日に大江健三郎が死去していたことを知る。Instagramに投稿した文を転載。
といったことを書きつつも、もちろん大江健三郎作品に欠陥がないとはまず言えないし、このさき要検証かつ批判を加えていくべき部分もあるだろう。そういったことにはもちろん遠慮なく批判をしていきたいと思うし、それが私からの私なりのリスペクトの表明となるだろう。いつになるかはわからないけれども。すくなくともtwitter上でちらほらあらわれている、大江を妄信している感じのべた褒めみたいなことは、もし私がやってたとしたらそれは悪意を持ってやってますのでお間違いなく(大江もそれくらいの性格の悪さを持ちあわせていたことだろう)。勉強マジ大事ってことはこれからも見習っていきたい。
しかし来年から「正宗白鳥とジョージ・ミラーの誕生日にして全国水平社創立の日a.k.a.私の誕生日」に金史良の誕生日を加える予定だったけど、「大江健三郎の命日」を加えるかどうかが悩ましいところ。
さいきん読み終えた本
サミュエル・ベケット『マロウン死す』(河出書房新社)版違い含め3読目
『白鴉』33号
さいきん観た映画
『劇場版センキョナンデス』(ダースレイダー/プチ鹿島)シネマート心斎橋