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怖い話⑦『ニュートロン』その②(日本編)

前回、怖い話⑥『ニュートロン』その①(アメリカ編)をご紹介しました。

本日は、自身の経験を踏まえた日本編です。

プラザ合意前

1984年に電機メーカーに入社しました。
地方の工場に配属されました。

工場内は、切削加工のオイル、研磨液が霧状に舞っていました。
大型プレス機の振動・騒音は、驚くほど大きい。
機械の有機系洗浄液の臭いにくらくらする。
働いている人たちは、ほぼパワハラ系。
事務所は、工場の屋根裏。
予算が足りず、貧乏で計測器を隣の事業部に借りに行く状況。

思い描いていた会社生活と全く別の世界でした。

しかし、当時は活気がありました。

1ドル240円時代。
今では信じられないことですが、海外向け製品をたくさん生産していました。


1990年代

売れ行きが好調になり、一気に業績が改善しました。
当時の事業部部長は、2代続けて本社の副社長まで昇進。

プラザ合意で、急激に円高になりましたが、海外向けはマレーシア工場、中国工場に生産を移管。国内工場は国内向けの生産で棲み分け、ピンチを切り抜けました。


2000年代

2000年に入ると急に業績が思わしくなくなりました。
全社で大規模なリストラを実施。
50歳以上の先輩が、会社を去りました。

リーマンショック前後

2007年頃から、投機目的で銅の価格が高騰。
銅の購入価格を売価に転嫁できずに、赤字が拡大。
更に、2008年のリーマンショック + 円高で大きな赤字。

技術の流出

この頃、GEのジャックウェルチ氏の手法がフルに適用されます。

*赤字の事業部は撤退して、利益の出る事業体に集中。
*人材をリストラ。

 ⇒ とりあえず50歳以上がリストラの対象にまりました。

経験豊富な技術者もリストラの対象。
再就職先は、台湾・韓国・中国のライバルメーカー。
ところが、再就職先で先輩方が大活躍。
それにつれて、日本メーカーのマーケットシェアは、徐々に下降。

優秀な技術者 + 安い労働力 = 最強のビジネスモデルです。

※ 先輩たちは、その後65歳で日本に帰国。
 業績好調な国内のライバルメーカーに再就職。
 すごい。

従業員への対応の違い

日本の経営者、人事担当者:
「もういいでしょう。年なんだから早く辞めてください。」

台湾・韓国・中国の経営者:
「あなたのような優秀な技術者をやめさせるとは、信じられない。日本の経営者はどうかしている。」
海外メーカーに勤めていた先輩から聞いた話です。
人を奮起させる手法は大事だとつくづく思い知らされました。

ニュートロン

人員削減の次は、設備です。

日本の工場: 関東の工場閉鎖。関西の工場は建物だけが残りました。
海外工場: 人件費の高いアメリカ工場は撤退。
マレーシア工場: 2つのうち1つの工場を閉鎖。
中国工場: 2つのうち1つの工場を閉鎖。
閉鎖された工場は、すべて原っぱに戻りました。

巨額の投資が無駄になりました。

統合と縮小

しばらくすると、ライバルメーカーと統合。
ライバル会社の同じ部門と職場を統合。
部品を作るほかの事業部門とも合体。
経営規模がずいぶん小さくなりました。


定年前後

定年後、継続雇用の制度がありましたが、直前に4名ほど職場に移動してきました。
延長するのは、難しい雰囲気になりました。

再就職は、とても苦労しました。
中国・韓国・同業他社に行かないことにしたので、就職先がありません。
何とか見つけた再就職先も、すぐに頸になりました。

振り返り

会社生活を振り返ると、いろいろ考え深いことがあります。

良いことは続かない

  • 大学の先生からは、「あそこの企業に就職できれば、大丈夫だ」と言われていました。
    実際入社してみると、とんでもないブラックな職場環境でした。

  • 2000年初頭 中国に巨額の投資をしました。当初は好調。 しかし、しばらくすると、中国メーカが市場に参入。コストで負ける ⇒ 投資が回収できない ⇒ 巨額の負債を抱える事態に陥りました。

  • ほぼ同時期に、TVやマスコミから取材を受け、優秀事業体として社外の団体から表彰され、講演会に招かれるようになりました。 しかし、何ヵ所かの講演会で幹部が発表している間に、業績が急落下することとなりました。

※ 業績が良い時は、どうしても気が緩み、傲慢になってしまいます。
常に市場・お客さんの動向にアンテナを張っていないと、大変なことになります。

※ 業績が好調な間に、次の事業を育てないといけないのですが、あまり成功例はないような気がします。

常に備える

大活躍した先輩方の特徴: 50歳を過ぎた頃から、会社の方針で設計の第一線から外されていましたが、気にせず腕を磨いていました。会社での地位よりも設計の仕事が好きだったのだと思います。
社外でも通用する実力を獲得できるように常に備える。これが肝心です。

※ 自身は、他社で活躍できるほどの評判に至りませんでした。実力が不足でしたが、一生懸命に取り組んでいたので不思議と後悔はありません。

気にしない

好調な時は、傲慢になり。苦境では、落ち込む。
若い時は、周りの環境に気分が左右されることが多かったです。

職場環境が最悪だったおかげで、30歳を過ぎた頃には、上司や同僚に何を言われても、さして気にならないようになりました。

『自分自身以外のことは、なかなか変えられないので、気にしないのが一番』という境地になりました。



参考

デジタルな振る舞い株式会社

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