ハードコアパンクと私 13
1985年の夏。
バンドは夏休み中は課題曲を練習して
夏休み明けに全員で合わせるみたいな予定でした。
竹中出身のシゲオ君にTHE STALINを教えた張本人ヨージ君(別の高校)と
シゲオ君の紹介で出会い、意気投合して同じ海の家で
バイトすることになりました。
「バンドの曲、何演んの?」
「オリジナルが2曲位であとは白(KURO)の"絶望"、
ラフィンの"I CAN'T TRUST A WOMAN"と
GAIの"LITTLE STAR"のカバー」
「お、何か白(KURO)以外POP路線じゃない」
「やっぱ文化祭じゃ学生さん相手になるから笑」
「オメーも学生じゃねえかよ笑」
ヨージ君達とTAM氏不在のブラッドベリを観に行ったのはこの頃です。
お盆位に兄が帰省してきました。
兄は帰省中、僕が所有してたTHE ROOSTERSの"DIS"、
"GOOD DREAMS"、"PHY"を
ずっと聴いて何か考え込んでいました。
ハードコアパンクスとして生きてゆくと宣言した割には
ハードコアパンク以外も継続して聴いていたんですよね。
バイトで稼いだ金はほぼ音源に投入していました。
この頃YOU TUBEとかSPOTIFYとかあったらもう少しバイトしないで
遊んでられたのかもって思いますよ。