努力論04/他者の価値観まで定義してしまう「支配的な人」はなぜ生まれるのか?

【前書き】
この「努力論」という論考では、書籍化を前提に、「努力は報われるのか?」という問いの正体を掴むために、「努力」という概念を構造化していく。
(編集者様がこの連載をウォッチしているので、ちゃんと書き続けなくてはならない。)
もし興味があれば01番から読んでいただけると、努力について深く理解できるはずだ。


セクハラ炎上事件で感じたこと

さて、前回の終わりで、そろそろ「努力」そのものについて書こうと宣言していたが、やっぱり気が変わった。
昨今のXでの論争を見て、前回の延長で書かなくてはならないことが見えてしまったのだ。
(後半に努力論に着地するので、努力論を期待している人は辛抱強く最後まで読んでほしい。)

その論争とは、セクハラ議論である。
女性起業家が、スタートアップ界隈で起きているセクハラについてNHKの「おはよう日本」で告発したのだ。

この番組と記事は瞬く間に拡散され、多くの議論を呼ぶことになった。
もちろん、大半の意見は、「こんなことがあってはならない」というものであり、言うまでもなく私もその立場だ。

しかし、一部の男性経営者から「これで諦めるなら、起業家には向いてない」「セクハラなんて可愛く思える位…」という投稿上がり、これをきっかけにさらに炎上は加速した。

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