自責でも他責でもない、「責任の傾斜配分」というマインドセット
よく自責を持つことの重要性が語られる。
たとえば、自由闊達に意見交換ができず、お互い顔色を伺いながら牽制している職場の空気があったとする。
そんな時、リーダーがその組織に対して「お前ら、ちゃんと意見を言え!」と叱責するのは、あまりに他責と言えるだろう。
リーダーなのであれば、その空気は自分が生み出している可能性があると考え、我がこととしてその課題に向き合ってみることが重要なはずだ。
自分は問題の当事者である、という「自責マインド」は立場が上がるほど求められるだろう。
しかし、「自責」あるいはその対局にある「他責」という言葉を多用することは問題解決から遠ざかる可能性がある。
なぜなら、組織内の問題であればどんな問題でも、100%誰かの責任ということはないからだ。
たとえば先程の組織内の雰囲気の事例で言えば、間違いなくリーダーの責任は大きいが、メンバー側も責任が完全にないわけではない。程度問題こそあれ、その雰囲気を甘んじて受け入れている側面はあるはずなのだ。
そんな問題に対して、「自責」や「他責」のような0か100しか表せない二元論的な言葉遣いは粗すぎるのだ。
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