テクノロジー社会に生きるとはどういうことか 〜「ペット」と「野性」の狭間
農業現場にかなりAIが入ってきている。
うらほろアカデメイアのプログラムで毎回訪問しているアサヒ・アグリ・アクション社(山田文弥社長)もBASF社が提供する「ザルビオ フィールドマネージャー」というAIを導入しているらしい。
実際に使ってみると、めちゃくちゃ便利らしい。病気になりそうなタイミングも予想してくれるし、次にどんなアクションをすべきかの提案もしてくれる。オプションを加えれば加えるほど、痒いところに手が届くようになるらしい。
山田さんの農場は120haもあるので、どれだけ観察するといっても限界がある。だからこそ、このようなテクノロジーはとても意味があるのだ。
しかし、そんな山田さんの話を聞いて、ハッとしたセリフがある。
それは、「農家に必要なことは、直観です。どれだけAIに助けられているとは言え、直観まで奪われてはなりません」ということだ。
AIはめちゃくちゃ便利だから、依存する領域が増える。そして依存した結果として、病気を防ぐことができ、想定通りの作物が取れていくと、意識が徐々にAIに向いていくことは想像できる。
しかし、それが加速していくと、「人間を補完する道具としてのAI」だったものが、「人間を指示するリーダーとしてのAI」になってしまう。
つまり、人間がペット化されていってしまうのだ。
もちろん、ペット化に抗うという方向性もあるだろう。いつまでも野性でありたい。
しかし、僕はそこに対してはちょっと悲観的だ。AIの進化が加速する時代において、人間が徐々にペット化されていくことは避けられないだろう。
僕も気づけばスマホなしでは生きられなくなっている。スマホに飼い慣らされたペットと言えなくもない。
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