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効率性が求められる時代だからこそ、意味不明な場が必要になる
10月に行われた富士通が長崎県と連携して行った地域問題解決型ワーケーションプログラムに、プロデューサーとして関わった。
先日、その反省会も終わり、ようやく振り返れるタイミングになったので、そこでの気づきを言語化しておきたいと思う。
まず、このプログラムのタイトルを見てほしい。
「異業種交流/地域課題解決ワーケーション」だ。何をやるか想像つくだろうか?
簡単に言えば、富士通やトヨタ、サントリー、コクヨ、三井不動産といった大手企業から募った参加者(各社から3〜4名)が「異業種交流」的に集まり、行き先である長崎県諫早市大草地区の「地域課題解決」に向けて各社が自社のリソースを元にソリューションを提案するというものだ。
その過程では、課題解決力を向上させるという「人材育成」的な目的もあるし、各自が自分の溜まった仕事をこなすための「ワーク」的な要素もあれば、大草ならではのアクティビティを楽しむ「バケーション」的な要素も含まれる。
…という話を聞いて、「え、盛り込みすぎで、意味がわからなかった!」と感じた人もいるだろう。
僕もこの企画を練りながら、同じ懸念を持ち続けていた。「目的の定まらない中途半端なプログラム」になりかねないと思ったし、実際に打ち合わせ現場では、「で、僕らは結局何やりたいんだっけ?」という議論も何度か交わしたと思う。
しかし、終わった段階で、参加者のリフレクションや関わった自治体の人たちの反応なども踏まえると、「やはりこれはこれでアリ」だと感じている。いや、「アリ」ということではなく、積極的になくてはならないのだ。
この手のイベントは主催者側がガッチリ目的を決めて、その目的に対して合理的な設計が為される。目指すべきゴールに向けて逆算で考えていく。これこそがプログラム設計の大前提だ。
しかし、このプログラムは違う。そもそもゴールの抽象度が高い。逆算しようにも、その起点がないに等しい。もちろんギリギリの設計はするが、本質的な意味での設計は手放さざるを得ない。
しかし、そうだからこそ、その場でしか味わえない体験があったのだ。
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