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人前に立つ前に、まず絶望せよ

前回のnoteでは、書くことの苦しさについて書いた。

https://note.com/h_araki/n/nfa97664c7893

僕が物を書く時は、ありったけ余計なことやカッコつけの装飾的な文章を書いてからスタートする。そして、その文章を読んで絶望するのだ。その絶望から問いが生まれる。
「こんな文章はクソだ!こんな文章、誰が読むのか?俺が心から言いたいのは何なのか?」
その問いに向き合うことで、開き直りが生まれる。
「余計なことはもうどうでも良い。俺が言いたいのはつまりこれなのだ」…。
このプロセスを経ることで、ようやく自分が何が書きたいかが見えてくる。そんな話だった。

このプロセスは苦しさを伴う。
まず調子に乗り、やがて絶望し、開き直る。
どんな文章を書くのにもいちいちこんなプロセスを経るから、身は削られる。できれば書きたくない。
でも、開き直りの先にたどり着いたメッセージの爽快感が忘れられない。
だから性懲りも無くまた書くのだ。
こんなことをずっと繰り返している。

そして、これは人前に立つ時でも同じではないかとふと思った。
講義、講演、ファシリテーション、いろいろ形式はあるが、いずれにおいても大事なのは、「いろいろ言いたいことはあるが、一言残すとすればこれだ」という心境に至っているか、だと思う。

これだけ聞くと「そりゃそうだろう」と思うかもしれない。
しかしそんなことはない。
スライドが20枚あるとする。そうすると、20枚を同じくらいの力で話そうとしてしまっていないだろうか?
そんな状態であれば、聴衆は「この人が本気で何を言いたいのか?」ということを見失ってしまうだろう。
20枚あろうが100枚あろうが、言いたいのはこの1枚。それ以外は全部おまけだ。
それくらいに強弱をつけるべきなのだ。

この強弱をつけるためにも、同じように絶望と開き直りのプロセスが求められる。
「あれも言いたい。これも言わなきゃ。あれ、時間はたった60分?オーディエンスはこんな人たちもいるの?絶対無理じゃん。この時間じゃ、何も伝えられないよ…」という絶望から、いろいろな枝葉末節を削ぎ落とし、「結局俺が言いたいのはこれだけだ。それさえ言えればいい」という開き直りの境地に辿り着いているだろうか。
あなたは贅肉だらけの姿で人前に立っていないだろうか?

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