努力論02/池江璃花子選手の発言から考える「努力の意味」
さて、今回は、まずタイムリーな時事ネタから行きたいと思う。
それはパリオリンピックの競泳女子100メートルバタフライ日本代表の池江璃花子選手の言葉だ。
「ここまでの努力は何だったんだろうと思うし、頑張ってきた意味はあったのかなと、そんな気持ちでいっぱい。自分なりに一生懸命やってきたつもりだったが何も変わってなかった。本当にいつまで苦しまなければいけないんだろうと思う」
彼女は、準決勝のレースで全体で12位に終わった。
白血病から見事な復活を果たしたが、今大会では目指していた決勝進出は絶たれ、望んでいたメダルも叶わなかった。
そして、「ここまでの努力の意味はあったのか?」という発言に至る。
努力は「副産物」をもたらす
ここで彼女が言っている「努力に意味がある」という発言を構造的に捉えてみよう。それは以下のシンプルな図にまとめることができる。
「練習量をこなす」というInputをすれば、「パリ五輪で勝つ」というOutputが返ってくる。
これが、彼女の発言から伺える「努力に意味がある」という状態だ。あえて構造的な示すまでもなく、シンプルだ。
しかし、この「意味」という単語はそんなにシンプルではない。
なぜならば、多くの人は、おそらく彼女のこの発言を聞いて「そんなことはない。あなたのここまでの努力には意味があった」と言ってあげたくなったはずだからだ。
ここに彼女と私たちが認識する「意味」という単語のズレがある。
実際にインタビュアーも、言葉を選びつつ「培っていたものを出そうとされていた。その姿は私たちに届いたと思う」と言って、「あなたの努力には意味があったんですよ」というニュアンスのフォローを入れた。
つまり、彼女とインタビュアー(もしくは私たち)にとって、意味は以下のようなズレを持つのだ。
このズレはどこから来るか?
それは、努力の意味のうちに、意図しなかった「副産物」を含むかどうかだ。
この認識にズレがあれば、会話は食い違う。
努力の報酬には「時差」がある
そして、もう一つの観点がある。
彼女のインタビューを聞いて、「この努力は次のロサンゼルス・オリンピックで結果になって返ってくるから、それを信じて頑張ろう」という声をかけたくなった人もいるだろう。
そのリアクションから分かる通り、努力のリターンには、「時差」というもう一つの変数が含まれる。
つまり、努力がもたらす意味(=リターン)には、2つの変数が存在するということだ。
それは、「意図」と「時間」だ。
池江選手がこだわっていたのは、パリ五輪で勝つという「意図した」「即座の」リターンだ。
しかし、それだけでは努力について「意味がない」と語ることはできない。
リターンには「意図しないもの」や「時間差でやってくるもの」というものが含まれているはずだからだ。
それを構造的に例示をすると、こういうことになる。
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