2023/03/29
突然強い表現をするが、人を強くするのは絶望や挫折だと思っている。
もっと正確に言うと、「挫折や絶望から立ち直ってもう一度歩き出す瞬間」に人は成長すると思っている。
普段よりもたくさん運動すると筋肉痛になる。
筋肉痛とは運動によって傷付いた筋繊維を修復する過程で生じる痛みのことだが、この筋繊維が修復されると筋肉痛になる前よりも強固に結びつくと言われている。
これが「運動をして筋肉痛になると筋肉が育つ」と言われている原理である。
コンスタントに絵を描いていると、なんとなく思うように筆が乗らない期間がやってくる。
いわゆるスランプというやつである。
随分昔に聞いた話、スランプというのは「上手く書けない」ではないのだそうで、「描いている絵はいつもと変わっていないが自分の目や感性が肥えた結果今まで通りの絵では満足できなくなった結果燻ってしまう時期」なのだという。
曰く、その目が肥えたタイミングでこそたくさん描くのが上達の近道だそうだ。
これが本当なのかそうでないのかはさておき、わたしはなかなか説得力のある考え方だと思っている。
筋肉痛然りスランプ然り、「上手く体を動かせなくなる」とか「自分の作品に納得がいかなくなる」とかそういう挫折が成長につながるという話、あらゆることに関して適用できる気がしている。
勉強にしても仕事にしても人生にしても似たようなもので、何かと向き合えば絶対にどこかで何度も理想と現実の埋まらない溝に絶望して足を止める場面がある。
当然それで立ち上がれなくなってしまえば本末転倒なので(“立ち上がれなくなる”だけに?)(?)その頻度や大きさみたいなものには程度の良し悪しはあれど、基本的にわたしは絶望や挫折なんかすればするだけ強くなるので偉いと思っている。
大切なのはその立ち上がり方の部分で、ただ闇雲に立っては転びを繰り返していても仕方がない。
我々は立っているために立つのではなく、歩いていくために立つわけなので。
「なぜ転んだか?」「どうすれば転ばずに済んだか?」「次同じ障害に面したときにはどうすれば転ばずに済むか?」みたいなことをひとつひとつ精査して、次はもっと上手く歩けるように自分で立ち上がる。それが人を強くするのだと思っている。
何の話だったっけ?何の話をしたかったのか忘れましたが、要するに人間たくさん絶望してたくさん強くなればいいよっていう話です。