ひいらぎ
旅先や日常で訪問した素敵なお店や景勝地を紹介しています。
自分語り、雑記、日記、など
好きなアーティストについての長々としたポエムだぜ
好きなアーティストのことが好きなわたしは世界一可愛いわたしでいたいんだよな
どこ広島県広島市、広島パルコ周辺。 広島市電八丁堀駅から本通駅にかけての一帯、商店街から路地に入ったビルの2階にひっそりと存在している定食屋さんです。 どんなメニューは2種類の定食+平日限定の自家製パンランチの3種類。 各1100円なのでお手頃な感じ。 金曜日のお昼前に訪問したところ既に2組待ちの列ができていました。 店内はドライフラワーが飾ってあったり、かわいらしい置物があったり、落ち着いていてイマドキっぽい雰囲気です。 座席にも「大きな声での会話は控えてください」
5年ぐらい前から、「自分のメンタルは正接関数のグラフに似ている」と思いながら生きている。 気分の浮き沈みがある人がよく精神の調子をサインカーブで表すのを聞くけど、わたしのはサインカーブではなくタンジェントカーブだな、と思う。 x軸が時間、y軸が精神状態として、下がるときがあって、上がるときもあって、極端に下がったあとには極端に上がったりして、π/2のところで「メチャメチャ調子が良く、かつメチャメチャ調子が悪い」という(おそらくほとんどの人にとって意味がわからないであろう)
お久しぶりです、ひいらぎです。 noteを2ヶ月書かなかったって相当意識的明文化の余裕がなかったんだな〜と思います。 思考の断片を140字にまとめてインスタントに消費してしまうよりはちゃんとまとめてこねて長い言葉にしたほうがいいと思いつつ、それを意識するほどの余裕がないとなかなか理想通りには行かないものですね。 なぜ余裕がなかったかという話なのですが、5月にデザインフェスタというイベントに出展していました! その準備やら何やらをしていたというのがありましてなかなかまとま
「どちらが正しいか正しくないか、どちらが良いか悪いかではなくて、」というのはわたしの口癖である。 とにかくことあるごとにこれを言っている。言ってる日は1日に4,5回言ってるレベルで。 予防線と言ってしまえばそこまでだけれど、実際のところあらゆることに関して正しいとか間違ってるとか良いとか悪いとか、そういう二元論を持ち出すことを避けている。そんなの視点がどこにあるかによって違った見え方をするに決まっているからだ。 インターネットをやっていると(インターネットに限った話じゃ
突然強い表現をするが、人を強くするのは絶望や挫折だと思っている。 もっと正確に言うと、「挫折や絶望から立ち直ってもう一度歩き出す瞬間」に人は成長すると思っている。 普段よりもたくさん運動すると筋肉痛になる。 筋肉痛とは運動によって傷付いた筋繊維を修復する過程で生じる痛みのことだが、この筋繊維が修復されると筋肉痛になる前よりも強固に結びつくと言われている。 これが「運動をして筋肉痛になると筋肉が育つ」と言われている原理である。 コンスタントに絵を描いていると、なんとなく
初めて飛行機に乗ったのはいつだっただろうか。 多分1歳のときかな。両親の新婚旅行で札幌に行ったのが初めてだった気がする。 小さい頃はよく飛行機に乗った覚えがある。 祖父の社員旅行か何かでハワイとオーストラリアに連れて行ってもらった。 父親の社員旅行でもハワイに行った。小学校2年生の頃だった。 学生の頃は山口に住んでいて、東京での就職を希望していたので、就活中は毎週のように授業を蹴っ飛ばして飛行機に乗った。 貧乏学生のわたしはとにかく旅費を浮かせたくてよく羽田空港の
人が好きだ。 自分と関わってくれる人を認識するたびに嬉しくなる。 自分のツイートがいいねされるとか、noteが読まれるとか、たまに出社したときにたった一言「お疲れさまです」と声をかけてくれる同僚の存在とか、職場の近くのコーヒー屋さんでコーヒーを買ったときに「良い一日を」と挨拶されるのとか、全部嬉しい。 我ながらなかなかに些細なことで喜べる人間だなあと思うけど。 ……という前置きを置くと矛盾しているように見えるが、人間が怖い。 道ですれ違う人はみんな悪意を持ってわたし
小学生の頃、学校の理科準備室が好きだった。 思えば当時の理科準備室での時間が今の自分を形作っている気もしなくもない。 その先生はわたしが小学校4年生の頃に中学校から転任してきた。 レーシングカーに乗って通勤してきたり、授業中に「実は水って猛毒なんですよ、H2Oを経口摂取した人間は200年以内に100%死に至ります」みたいなことを言い出したり、とにかくめちゃくちゃで「先生」と呼ぶには馬鹿げたような人だった。 当然と言うべきかあらゆる児童に好かれていて、昼休みに理科準備室
日記。 写真年末にインスタ経由で声を掛けられて、シルエット展という小さな写真展に作品を展示していただいた。 2日だけの展示だったのだけど、2日目はわたしも少しだけ顔を出させてもらって、主催の方や参加者の方と軽く言葉を交わすということもあった。 印象的だったのは出展作品の半分ぐらいが縦置きだったこと。 わたしは普段意識的に写真を撮るときその機材がスマートフォンであろうと横置きで撮ることが多いので意外だな、と思った。 時代柄だったりするのかな、と主催のお兄さんと笑って話し
昔、本当に全部がわからなくなって夜も一睡もできなかった末、頭が急回転したように「今まで何をそんなに悩んでたんだっけ?」と心が凪いだ日があった。 それは多分「平気になった」とかじゃなくて一種の乖離に近い現象で、これ以上は受け止められなくなった心が苦しみを自分から引き剥がそうとした結果なのだと思っている。 そのまま携帯も置いて財布だけ持って家を出て、丸一日外を歩いて回った。 何かを悲観してたわけじゃないけど、そうすることで何か好転のきっかけが掴める気がしていた。 帰ったら母
職場の後輩から「ひいらぎさんはもっと自分を大切にしてください、もらっている給料以上に考え込まないでください。ひいらぎさんの人生はひいらぎさんのものです」と怒られた。 それはそうだよな、と思ったんだけど、別に会社のためとか誰かのため、仕事のために自分を擦り減らしている認識は自分のどこを探しても特になくて、それはそうだけど、それなんか違うんだよ、とも思った。 でも仕事で自分が疲弊しているのは確かであって、じゃあこの違和感は何なんだろう? 根本にある原因は自己評価の低さ、自己
丸23年、我ながらよく生きたなあと思っている。 自分のことは強い方だと思ってるけど、生まれたときから強かったわけじゃないし、むしろ昔の自分に生きるに足る強さの持ち合わせがあったとは思ってない。 それでも人生という戦いの前に放り出された時点で選択肢は「戦うために強くなる」か「逃げるために強くなる」かしかない。 同じ強くなるなら勝ちたかった、負けず嫌いなところは昔からだね。 気付いたらもういい加減「可能性のある若者」というラベルにあぐらをかいていられる歳でもなくなってきた。
商店街 地元・山口に帰省すると必ずと言っていいほど決まって歩く場所がある。 子供の頃、本当に幼稚園とか小学校の頃から馴染みのある、そして上京する直前まで通っていた商店街。 特に栄えているわけでもなく、多分地元の人100人に聞いたら60人はシャッター街と形容するんじゃないかな、といった具合のアーケードである。 とは言え夏には大きな祭りがあったり、時折新しいきれいなカフェができたり、記憶から手放すには惜しいという絶妙な塩梅の町なのだ。 とにかく何度も歩いた商店街。 思い
かわいい女の子に憧れたこと、ありますか? わたしはあります。 「かわいい女の子」に限らず、きっと誰しも「憧れの人」を見つけてはそうなるために努力したり、現実の自分との差に絶望したり、一度くらいはしたことがあると思います。 わたしも毎日それの繰り返しを生きています。 女性アイドルって、男性から見た「理想の女性」の側面も持ちつつ、女性から見た「なりたい私」でもありますよね。 アイドルに憧れる女の子、って、珍しい感覚ではないと思うのです。 「女の子の憧れのアイドル」であ
これわたしも結構いろいろ考えたことがあって、雑に言及したい話題でもないのでnoteでまとめて回答とさせてください。 メッセージをくださった方の印象通り、わたしの個人的な立場としては「推し」という言葉は好きではないです。 特にミュージシャンについて話すときには「推し」とは絶対に言いません。 ただ、場合によって「推し」という言葉を使う場面もあります。 例えばつい先日、アイドルマスターのキャラクターに言及するときに「推せる」という表現をした……気がします。 というので、わた
マシュマロより。 遠征の定義や「どこからどこまでをひとまとまりの遠征と見なすか」みたいなところで多少迷ったのですが、もう完全に主観で選定しました。 今年もいっぱい遠征したぜ 第3位 6/16~18 @福岡・岡山・香川 行程 講評 限界というほど限界もしていないですが、 3時起床 2度バスに駆け込み乗車を為している 乗る予定にしてたフェリーが廃線になっていた あたりでポイントが加算されています。 結構体力的にはキツかったような覚えがある、岡山公演は入場して