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あたたかい春でうれしい

「あの映画はね、最後の納棺のときに窓から入る日光のライティングが素晴らしいんですよ」

もう7年も前、学生時代にカメラマンの先生から聞いたその言葉がずっと忘れられなくて、一度観たおくりびとを録画したのがこのあいだのこと。
ぽっかり空いた金曜日の午前中、最後のシーンだけみられたらいいかななんて思いながら再生ボタンを押して早速冒頭シーンを早送り。そしたらすぐに納棺のシーンが出て来て、本木雅弘のうつくしい納棺シーンはみたい…みたいぞ…と早送りをやめたのだけど、様々な賞を総なめした映画だけあってそのあとは早送りポイントが見つからず、全部きちんと観てしまった。例の納棺のライティングについては「うわー!ほんとだこれすごい!」みたいな感じではなくて、「先生のいってたのこれかあ、なるほどなあ…」というしみじみとした印象。本木雅弘の顔の輪郭と目の表情だけがぎりぎりわかるようなライティングだったところはぐっときた。

演技も脚本も音楽も改めて素晴らしい作品だったのだけど、たぶんあの先生の言葉がなければ10年前に観たこの作品をもう一度観ることはなくって。7年間わたしの中に存在しつづけた彼の言葉とそれによって動かされた今日のことを考えていた。先生の何気ないひとことが数年越しにわたしの今日に関わったこと。こういうちいさなバタフライエフェクトみたいなこと、ほかにもいろいろあるのかもしれない。

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やればできること、やればわかること、やればかわること。この1ヶ月くらい、この3つを静かに確かに感じている。

やればできることって思ったよりもあるかもしれない。やればわかることってやる前に想像してるよりもたくさんある。ひとつ新しいことやれば、自分のなかでなにかがちゃんとかわっていく。新しいことを取り入れたら、古い自分がなにかひとつ旅立っていく。自分のなかの新陳代謝。

3つぜんぶ、仕事を通して感じていて、とても月並みだけどやっぱり仕事ってすごいなあと思うし、わたしは割と働いていたい人間みたいだ。ニートは全然性に合わない。

できることは接客業で、たぶん接客そのものは短時間で済む種類のほうが軽快にこなしていけて、そこに少しのオリジナリティやホスピタリティを入れていけたらあれこれ楽しく動いている間にお金が発生しているような状況になっていきそう。そんな風に職業観がはっきりしてくるのも、ひとつひとつの積み重ねとぐるぐるなんとなく考えつづけることの結果なんだよなあ。いろんなところにぶつかるたびちゃんと見えてきて、だから不器用なこの人生がたのしくてすきだなって思ってしまう。明日もお弁当作ってすきな音楽を聴いて出勤して、さくさくとお仕事をするぞ。この春はストレスフリー。

(タイトルは種田山頭火「まっすぐな道でさみしい」のオマージュなんですけど、こんなのだれにもわかんないなっていうさみしさがあるので最後にこっそりかいておきます)

#日記

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