(よい作品の備忘録)
ひょんなことから教えてもらったミュージックビデオがとってもよかったので痺れすぎて記録。ことばにしておく。
Apple Musicを利用しはじめてから音楽の世界が一気に広がって、気になっていたけれど聴いたことなかった音楽というゾーンがぜんぶ手の届くところにある生活になった。そんな生活になって間もなく、そういえばあのアーティストも…と思って検索したことがあった蓮沼執太。検索してヒットした曲をいくつか聴いてみたけれど、そのときの自分にはそこまでぴんとこなくて、ダウンロードには至らなかったアーティスト。
そんな彼のもうひとつの活動 蓮沼執太フィル のMVを知人からおすすめされたのが昨日で、見てみたら10分くらいあるし青白いよい空気の中文字が流れてくるし音楽はぽつりぽつりと始まって結構かなりいい予感だらけだったのだけど、ちゃんと観る気持ちの体勢が整ってなかったのでしっかり楽しむのはまたあとにした。
そんなこんなで世間さまの連休あけのこの午前中、ようやく気持ちが整ったのでベッドで横になって携帯のちいさな画面でささやかにみていたのですが、いやあこれは、朝からよいものをみました。とても。
すこし不穏な音とともに始まる最初の青白い駅のホームという時点で結構撃ち抜かれてしまう安直な感性。この色味はいい予感しかしない…でも音楽がちょっとこわくて重い…だけどちゃんと美しい空気はある。
間もなく左から流れてくる文章。この映像の空気にこのフォントでこの間隔で文字を配置するのはもうできあがっているよなあ、つめたくてすこしかっこよくて凛としている、映像と自分のあいだにかけられるささやかなレースの幕みたい。歌詞なのかなんなのかよくわからないけれど流れてくるそれを一生懸命追う。動く文字を追うことと文章を理解することと映像そのものの変化を気にすることであたまが忙しい。「私は何となく小さく消えかかっていたので、」のところでうわあ~きたこういうずるいの好き~~うつくしいじゃん…と心のなかでこうべを垂れる。このMVはつまりこのちょっとこわくて重くてちゃんと美しい音楽の中でこういううつくしい日本語が流れていく映像なんですか…テンションあがる…
駅の全体映像から男のひとのズーム映像に切り替わって、再び全体映像になるとき、その頃には左から流れてきたあの文章が右端まで行き着いて、縦に並んだ白い文字とホームに直立する柱と人々がうつくしく並んでいる。すこしあたまが落ち着いてきたころに向こうのホームで左から歩いてくる人が登場するのもいいよなあ、ほどよいスパイス程度の変化。今度はあぐらをかいている黒いおにいさんがズームされて、そこにかぶる「時間がそこにあったので、」という言葉にまたやられてしまう。時間はいつでもあるけどさ~そこにあったのでっていうときはあるよね…ある…そしてこのタイミングでちょっと高くてかわいいピッピローみたいな音が入るのがちょっとほっとする。こわさが減ってちょっとたのしい。次にズームされるお姉さんのときには「そしてまた私たちはエトセトラのほうへと飛んで行く。」そうそう、ホームに集まって電車を待つけれど、終わったらそれぞれの人生があるよね…さまざまなエトセトラが…
しばらくひとりのズームだったのがここで直立グループの映像になる、全体の映像でも文字とのバランスがうつくしかったけれど、もう少し近づいてひとをそれぞれ一個人として認識できるくらいになると、現実感や生活感がぐっと増すなあ。
周囲を少し見渡すおじさんの映像であたまを小休止。ぼーっとしていたら階段近くのエリアのズームになって、これがまたバランスいいよなあ…手すりに腰かける黄色いひとの存在!あぐらをかくお兄さんのつくる構図。はーーー好き。そして今度は真ん中で突っ立って携帯いじるひととゆるく動く両脇のひとの3人構成…この映像の展開ほんとうに飽きないな…
「嬉しくても悲しくても何故だか人は泣くのだけれど、どこへ続くのかもっと知りたいんだと思えて、目を凝らしてみたけれど無理なんだと気づいた。」
このよい文章を経てすこしの間携帯をいじるひとたちの映像になる。生活の当たり前の光景として溶けこんだこの情景、自分が溶けこむときだってあるのにたまに傍観者になるとやっぱりちょっとさみしくて切なくてしゅんとしてしまう。
ここまでの間、画面が切り替わるたびにぷお~と音が入ったり、少しずつ構成音が増えていくので、最初に目の前に大きくあったこわさとか重さとかが気づいたらどんどん消えている。そのタイミングで入る点字ブロックとかわいい足元。構図と色彩感覚が好みすぎる…。
「iPhoneを取り出して、泣ける物語、検索。」にたどりつくくらいのタイミングでおじさんが泣いてる映像になるのすごいずるいな。ずるい!!ここまでしばらく何人か単位での映像だったから個人の顔のアップのパワーが倍増する…音も怖さ重さはないけれど楽しく聴けるだけじゃなくてちょっとしっとり、うすくて青寄りのエメラルドグリーンみたいな、ちょっとすんとしながら楽しさもある…このあと入ってくるピアノがすきだなーー!すごいいい感じでこの音楽を持ってくなあ…そんななかでみんなの泣きかけてる顔がじわじわおそってくる…
「目線を上にあげてみれば、こんな駅のホームからでも星空はまだそこにあった。色んな光が見れるここでも。」
これを読み終えるくらいのタイミングで音が一気に駆け上がっていく一瞬、映像はホームから線路に平行に撮影されてる角度で、あーーーすき。ぼやけるのもずるい。
ここまででちょうど4分くらいで、全体の半分が終わってないくらいだ。ちょっと忙しすぎではありませんか。わたしはこまかく反応しすぎなのだろうけど。ただここから先は映像と音楽と文章にいちいち反応というより雰囲気楽しむモードになっていって、あ~ラップを聴くことなんて全然ないけど環ROYのラップいい感じだな~、ここでの彼の佇まいのよさ…存在がおしゃれ…とか、ハモってる男女の声と流れてる文章の重なりかたがうつくしいなあとか、あーーみんな泣いてる~それぞれに生きてる~~!とか、環ROYが横顔でも登場して、このひとのさっぱりしたお顔の汎用性…どこでもアンニュイにいけるかんじすごい…とか、最後文章がみんな右側に流れていってホームの全体映像でまた余韻を残してきれいに終わるの、それが正解だよねそうだよね…とか、そういう感じで前半よりざっくりと印象を楽しむゾーンでした。
じっくりみた2回目ではっと気づいたのだけど、わたし学生時代こういうことやりたかったんだな…空気感も色味も文章の存在のしかたもぜんぶの温度も…今はこういう感覚の真っ只中ではなくなったけど、根底に色濃く残りすぎて共感にちかい何かがすごい。わたしはもうそういう方向性のクリエイティブをしようとは思わないけれど、そういうものに出会うとやっぱり興奮してしまうな。
音楽は邦楽ロックを聴くのが好きだ、でも音の詳しいことはなにもわからなくて、たぶんものすごくあいまいに聴いている。でもこれはちょっと違って、音の色とか印象とか、これが入ったからこういう感じに変わったなとか、そういうのをこまかくみて楽しめた。なんの知識もないままこの映像を見始めて、映像の構成に惹かれてしまって目の前のものを素因数分解していたら、そこに音楽が深く絡まってきて最終的に音までいろいろ考えられてしまった。MVってそもそもは音楽を聴いてもらうための補助ツールみたいなものだと思っていて、あくまで主役は音楽のはずで、最初ほんと映像構成ばかりに目がいくから自分にちょっとあれれ~ってなってしまったけど結果オーライ。ただこうして音楽を絡めて考えられたのも、この作品の構成がすごーーく上手だからなんだよな…ほんとうにすごいな…
最初は始発のホームの空気と少ない音の構成のおかげでなんだかスースーして、透き通る濃紺の世界で冷たいなーという印象だったけれど、ぜんぶちゃんとみたらさみしさも儚さも美しさも、すこしの楽しさも、早朝の空気も夕暮れも深夜も快晴の昼もぜんぶはいっているような作品で、ずっと気持ちよくて鼻の奥がずっとすんとした。
ホームにばらばらに直立したり座り込んだりしているひとたちと左から流れてくる等間隔の文字は最初完全にただの点で存在していて、それらが音楽とカメラワークで人と生活と感情の詰まったものになっていって、でも終盤また音の種類が減って、音も映像も静かになっていくとだんだん元に戻って最後のホーム俯瞰はまた点で存在してる。それはつまり、まさに「そしてまた私たちはエトセトラのほうへと飛んで行く。」ってやつで、生活はそんなことの繰り返し。そういう切なさはずっと大好物だなあ。とてもよかった。制作に関わったみなさんにお礼を言いたい。この世にこの作品を出してくれてありがとうございます、 !