インターネット上での体感として ファミリーツリーひとつふたつまえの世代とのしがらみをしんどく感じてる人、意外と多いな! というのがある。 まぁSNS上で私の好んで見る投稿が呼び水になってるだけなんだろうけれど。 親族との関係に私もまぁまぁ悩んできたなりに諦めもついて、強制的に距離を取ってこのままどちらかかが鬼籍に入るまでやり過ごすしかねぇな… というモードではあるんだけど 2021年のはじめにかなりインパクト強めの悪夢見てしまい、久々にぐったりしてしまった。 当時、特に根拠
祖父の蔵書だった漫画と、落語のCDを貰った。 関川夏央と谷口ジローの「坊ちゃん」の時代シリーズ。 祖父はどっかの私大でその昔リガクブチョーだったので、弟は学生時代たまに祖父から数学を教わったりしてた。 ある時、弟の宿題に祖父が走り書きした途中式を見た教師が、 「この解き方はとても美しい。宝物だよ。」と言ったらしい。 理系の人は数式を「美しい」と形容するのか。へぇ〜 そういや湯川秀樹も、「詩と科学」なんて並べてたな。 世の中には、私には読むことも叶わない美しい詩が無数にあ
重いものを持ち上げる際、 直立姿勢から腰を屈めて無理に引っ張り上げると背中に負荷がかかり過ぎて腰を痛めるのでNG。 一旦しゃがんで、立ち上がる足の力を利用して持ち上げるのが正しい姿勢、なのだという。 日々重量をを増す幼児をNG姿勢で持ち上げ続け、知らず知らずのうちに蓄積されたダメージにより2024年3月某日、とうとう私の腰がぶっ壊れる。(てか重量挙げの姿勢とか普通知らんでしょ!そんなん子育てチュートリアルかなんかで教えといてほしかったマジで。) Xデーは予兆なしに訪れた。
思春期の頃より荒俣宏先生のファンで、最近だとメディアでお姿を見かけるたびに、ああ、お元気なのだな、と思う。会ったこともないけど。長生きしてほしい。 大のテレビっ子だったという荒俣先生の著作「テレビ博物誌」はむちゃくちゃ面白い。 この本でしょっぱなから、ワァ〜!と思ったエピソードがある。 戦前、テレビジョンの放送・受信技術を開発した学校に天皇陛下が見学に訪れた際、 天皇陛下の車を先導していた警官がうっかり道を間違え、その場で割腹したという。マジかよ。 当時最新だったであろ
サンセベリアをポッキリやってしまった。 しゃがんだ拍子に勢いよく尻で折ってしまった。 折れた葉っぱを、根っこが出るまでゼオライト敷いて放置することに。 夫が最近、「なんかもう、このくらいのサイズが丁度いいんだよ」と300ミリペットボトルのコーラをちびちび飲んでいるのを、 お爺ちゃんが缶ビール飲んでる〜!と私がイジったため 300ミリコーラは我が家で「おじいのコーラ」と呼ばれている。 今日、ほんの気まぐれでおじコーの空ペットボトルをカッターで半分にしたら、 水耕栽培にちょ
世間で言われている「女性のエンパワメント」的な文脈とはちょっとズレるんだけど、 グレタガーヴィク監督が私の人生にもたらしてくれていた、ごく個人的な「なにか」がいつの間にやら失われていたらしいことに気づいたので、 その「なにか」の内実について考えてみた。 たしか10年ちょい前、 いつも教室の隅でつるんでいたオタク友達たちが成長と共に脱オタ&社会適合し始め、 私も周囲に足並みを揃えようと必死になって空回りして、盛大に失敗したりしていた頃。 友人Aと行った映画祭で、たまたま観た
3年ぐらいぶりに投稿する。 物心ついた頃から文字を読むのは好きで、小説やらエッセイやらインタビュー記事やら「読みやすいもの」を中心に、気の向くままに読んできた。 これらの文章はいつも、私を癒すもの、私を楽しませてくれるものであった。 現実からの逃げ場所、私だけの隠れ場所だった。 しかし私は、読むことで得た全てを「あ〜面白かった」という一文でしか言い表せない自分に気づいてしまった。 何に癒されたのか、何を楽しいと思ったのか、なぜこのくだりに胸が震えたのか、まるで説明できない
祖母が亡くなった、とメールがあった。 喪服用意してって、出先から直接通夜だな、と予定を変更し しかし全く感傷的な気分に浸るでもなし。 なんだか物足りない。 いつも味方になってくれて、悩んだときは明るく励ましてくれて、人生の折に触れ思い返す度にエネルギーになるような言葉をくれて。 おばあちゃん、という存在に ぬるいやさしさと郷愁をまとった理想像はあれど うちにそんな婆さんはいない。 彼女は孫に関心が薄かった。 祖母をはじめ、両親、親戚、みんなそんな調子で互いに無関心なので、
と、一目ぼれしては鉢植えを買ってきて、水をやりすぎて腐らせたり、やらなすぎて枯らしたり いつかは日当たりのよい家に引っ越すぞ…と、胸に決めてますが それまでは日陰でも育つ葉っぱたちに愛情を注ぐことにしました。 目指せ、アーバンジャングル