#新美南吉の養家
この度は、#新美南吉の養家 をSNS上に拡がればと思い、noteを始めました。
新美南吉の養家は愛知県半田市にあり、公益財団法人かみや美術館が管理しています。
私は2024年07月30日、南吉の誕生日に養家を見学しました。近くにある新美南吉記念館が、ゲーム『文豪とアルケミスト』とタイアップしたので、ゲームのファンである私はその流れで養家にも足を運びました。
県外からの見学にかみや美術館の神谷さんは大層驚き、知多半田駅まで車で迎えに来てくださいました。
(※ 南吉の養家の見学には、かみや美術館の連絡先に予約する必要があります。しかし、2024年07月30日当初、かみや美術館は空調設備工事の為休館していました。工事はおよそ2か月以上かかるようです。
休館にも関わらず、神谷さんは見学の許可だけではなく、施設の案内や説明、その上迎車までしてくださいました。撮影した画像の掲載の許可は頂いています。
改めて、謝意を申し上げます。本当にありがとうございます。)
1.南吉の養家
こちらが、新美南吉の養家です。茅葺屋根が特徴的な日本家屋です。家の囲いは美術館側が建てたもので、養家が美術館の分館として公開された当初は無料で見学出来ましたが、2012年から入場料を設け、無断で家屋に入らないよう囲いを建てたようです。
養家の中は以下の画像の通りです。江戸時代後期の建築物によくあるらしい「四つ住まい」という造りです。普段は襖で部屋を4つに分けますが、結婚など行事がある時は、襖を取って1つの大部屋にします。
かみや美術館の意向で、妥協せず当時のものをありのままに保管しています。襖や柱に付けられた展示物は、美術館側が用意したものです。それ以外は、ほとんど当時にあったものを、保管・再現しています。
養家の奥には土倉があり、中は新美南吉に関する資料が展示されています。
南吉の戸籍の写しや彼が投稿した作品がある『赤い鳥(初版本)』、南吉の著作(こちらも初版)、教師時代に描いたすべての画帖(複製)などなど、記念館には置かれていないものがたくさんありました。また、南吉の胸像が倉の真ん中に置かれていました。
土倉の中は撮影禁止のため、文章でしかお伝え出来ませんが、分館限定のグッズに土倉の展示物を撮影した絵葉書があります。
グッズは絵葉書以外に、南吉の詩「貝殻」の自筆を映した用紙や複製した画帖の復刻版らしきものも販売されています。こちらは分館でしか購入できませんので、見学で寄られた際は、お土産として持ち帰ってみてはいかがでしょうか。
2.南吉はどうして新美家の養子になったのか?
南吉は元々生家である渡辺家の子どもとして生まれましたが、8歳の時に母りゑの実家である新美家の養子になりました。
当時の新美家には、右の人たちが住んでいました。南吉から見て、祖父・六三郎、祖母・志も、叔父・鎌次郎、鎌次郎の嫁です。
新美家は、鎌次郎が跡を継ぐ予定でしたが亡くなってしまい、彼の嫁は実家に帰ってしまいました。また、南吉がいた頃には祖父の六三郎も他界、更に南吉の母りゑも4歳の時に帰らぬ人となってしまい、新美家には、祖母の志もしかいませんでした。
南吉は、新美家の跡取りとして養子になりましたが、養母になった志もは元々後妻であり、りゑの継母でした。血のつながりのない養母と2人っきりの寂しい生活に耐え切れず、南吉は渡辺家に戻りました。南吉は新美家にたった5ヶ月しか過ごしていませんでした。
3.かみや美術館の神谷幸之氏
南吉の養家を管理しているかみや美術館は、神谷幸之(かみやゆきを)という新美南吉の研究家を中心に運営されていました。(今は神谷弘子さんが美術館の代表を務めています。)
神谷幸之氏が南吉の養家を発見した時には、既に無人でした。今から約60年前、1961年に志もが他界し、家を引き継ぐ者がいなくなってしまった為、手つかずのまま家は放置されていました。神谷幸之氏は、その養家やそこに住んでいた南吉に思う所があり、養家を買い取って修復しました。
修復後、1973年03月22日、南吉没後30年の命日に養家を一般公開しました。実は、養家は去年公開50周年を迎えていたのです。さらに言えば、新美南吉記念館よりも20年以上、新美南吉の資料を保管する場として公開されています。
南吉に関する資料を保管する場所として養家も大変重要です。しかし、南吉が実際に暮らしたのは8歳の時、しかもその年の7月から12月しか住んでいません。南吉がたった5ヶ月しか住んでいなかった家に、どうして神谷幸之氏はわざわざ買い取ったのでしょうか。
養家の看板にも書かれていますが、この家は南吉の童話の原点のひとつと言われています。亡くなった母りゑに対する寂しい気持ちが、養母と暮らしていく内にだんだんと溢れていき、生家に戻った後、ついには作品となって昇華されました。
文学的価値も確かにありますが、神谷幸之氏はこう思ったようです。南吉を「気の毒」に思ったから。
神谷幸之氏は弁護士でもありました。依頼人から様々な仕事を請け負って、彼らの為に弁護し続けてきました。依頼人とのやりとりで、彼はどうも「気の毒」だというあわれみの感情を持つようになり、お金だけの関係や問題だけに留まらず、依頼人自身の心や感情にも立ち向かっていたようです。
相手を思う「気の毒」という感情が、荒れ果てた南吉の養家にも表れ、現在にわたって養家を守り続けてきました。
妥協せずに当時のものを保管すると上記にも書きました。特に、屋根に使われている茅葺は富士山近くの生産地から取り寄せています。発注から用意できるまで1年かかるようです。材料をより当時に近づけるために、300日以上の歳月を待つ姿勢に、かみや美術館の芸術的・文化的に価値ある物への尊敬の念が強く感じられます。
こちらの話は、養家を案内してくださった神谷さんから聞いた話を参考に書きました。
4.「気の毒」とは
この神谷幸之氏の「気の毒」という思いは、今回私の見学に付き合ってくださった神谷さんにもよく表れていました。
見学した当時は、37℃越えの猛暑日でした。そんな酷暑の上、交通のアクセスが不便な場所にも関わらず、南吉の養家に行きたいと電話をした私に、神谷さんも「気の毒」に思ってくれたのでしょう。私の場合は、子どもの勝手すぎる我がままに付き合ってくれる母性を感じました。
気の毒は文字からしてマイナスなイメージを抱きますが、神谷の人々が思う「気の毒」とは、日本人が美を感じるときに湧き上がる「あわれ」と同じものでしょう。
土倉の中には、養家の写真が飾ってありました。荒れ果てていた当時の写真も残っていましたが、草木に覆われても、なお家の形を保つその姿に、神谷幸之氏は美を感じたと思われます。志もが最期まで住んでいたその家には、新美家の人々が暮らしていた。南吉も暮らしていた。多くの人間の生活が、そこに確かにあった。
養家が公開されて50年も経ちましたが、そこに訪れたほとんどの人が、養家の暗い雰囲気に寂しい気持ちで見学をしたのでしょう。その寂しい気持ちこそが、神谷幸之氏が語る「気の毒」な感情そのものです。
私も南吉の養家に入って、何とも言えぬあわれな気持ちを感じました。あのあわれな気持ちこそ、文豪たちが体験した生活を直に感じ取り、彼らの生き様により美しさを認めた想いです。文アルを始めてから7年経ってようやく、私は文豪たちの本当に生きた証に触れることができました。
5.「#新美南吉の養家」への想い
南吉の養家は、あまり交通が良い場所ではありません。新美南吉記念館から徒歩20分と行けなくもない距離とは言え、歩道がほとんどありません。
養家は半田市の文化財であり重要建造物ですが、市が管理している場所ではないのです。その為もあってか、観光地のひとつと宣伝しつつも、交通が大変不便です。そもそも半田市内を運行するバスも1時間に1本しかありませんので、歩きで市内を観光するには難しかったです。
それでも、彼の生家を訪れたのならば、是非養家にも来てください。あの養家に行ってから、私は南吉の『狐』を読んで、ようやく彼の本当の寂しい気持ちを知りました。
私の場合は、自己劣等感コンプレックスを他人と重ねて自分の思いにしてしまう癖があるので、他の人と比べて冷静な見方や判断ができません。
なので、私以外の人々、特に『文豪とアルケミスト』をきっかけに新美南吉の作品を読むようになった皆さんにお願いしたいです。
文アルとタイアップした新美南吉記念館に訪れる機会がありましたら、どうか南吉の養家にも来てください。そして、皆さんの目で見た養家の真実を、どうぞSNSで発信してください。その時は、#新美南吉の養家 と付けて、投稿してください。文アルを通じて、文学を守る気持ちを知るようになった皆さんなら、きっと南吉への気持ちや感情を多くの人と共有することができましょう。
私は神谷さんの話を通して養家のことを聞いてから数日間、涙を流して泣きました。南吉の寂しい気持ちや養家を守っている神谷の人々の意思、そしてその想いに堪えられない己の情けない心等々、色んな想いを抱えながら泣きました。
そんなえも言われぬ感情を、私は誰かに話したくて、聞いてほしくて、#新美南吉の養家 をSNS上に拡げようと思いついた次第です。
6.最後に
帰りの道中、神谷さんは南吉の作品には終わりがないことが何よりの魅力だとお話してくれました。
「物語に終わりがない。ないからこそ、読者はいろんな考えを持つことが出来る。それは、様々な時代の読者が、いろんな考えを持って、南吉の作品を読むことが出来る」
特に、今のような多くの個性を認めあう時代には、南吉の作品はよく合うと、ほぼ意訳ですが、そのように語ってくれました。
養家とほぼ同じ月日を過ごした神谷さんが、大厄になった私のような若者に快く南吉の作品を語り合ってくれたのも、そんな終わりなき物語が生み出した考えのおかげです。
今も、養家の中で南吉の詩を息を吸うようにすらすらと詠う神谷さんの姿が目に浮かびます。皆さんも、是非南吉の養家に遊びに来て、養家を今も守ってくれる神谷さんのお話に耳を傾けてください。私は、これが文学を守る人の生き様なんだなと希望を持ちました。