小説:プライドの行方(第四章)
「エリカちゃん、こっちこっち!」
「塚田さん!ごめんなさい、遅くなりました!」
「大丈夫。またおばさん達に絡まれてたんでしょ?まったくあいつらときたら・・・さあ、そんなことは忘れて行こう!」
十二月の半ばに、会社がクリスマス・パーティを開いた。
私は同期達と思いっきりお洒落をして、フィールド・セールスの方々のエレガントなエスコートで大手町にある大きなレストランへ向かった。
最近できたばかりのビルに入っているレストランはその日貸し切りで、立食のパーティが用意されていた。
毎年総務課と有志の社員達がとびきりのクリスマス・パーティを企画するそうだ。数年前には東京湾クルーズを貸し切りにして一晩中大盛り上がりになったと言う。
レストランは天井が思いっきり高くて開放感があり、大きな窓からは東京タワーがはっきりと見える美しい光景だった。ビルの近くにはクリスマスのイルミネーションが美しく広がり、季節の気分を盛り上げてくれる。
レストランの入り口で、私達は番号札を受け取った。中では番号順にグループになり、クイズをやってチームごとに点を競うことになっていると言う。
荷物をクロークに預けてカウンターの近くを通り過ぎると、店員さんがウエルカム・ドリンクがたくさん乗ったトレイを差し出してくれた。細長いカットグラスに入った白のスパークリングワインだった。私達はグラスを受け取ると、番号札の書かれたテーブルにそれぞれ移動していった。
テーブルには美味しそうなオードブルと、あふれんばかりに置かれたビールやワインにソフトドリンクがある。どれでも好きなものを取っていい事になっていた。サーモンのパイ詰めを見つけた私は、白ワインのハーフボトルを開けて、同期の絵美子と一緒に加藤部長と話し始めた。
「もう業務には慣れましたか?」
「はい。ありがとうございます」
「君達の様な人がこれからこの会社を引っ張っていくんだ。どんどん見分を広めてください。僕も入社三年目でオーストラリアに転勤になって、始めは右も左も分からなかったけれど、かなり鍛えられましたよ」
「どのくらい行かれていたんですか?」絵美子が言う。
「六年間。向こうで結婚もしました」
「え、と言うことは、奥様はオーストラリアの方ですか?」
「はい。現地で一緒に働いていて、ご縁があったという訳で」
「そんな出会いもあるんですね・・・」
「まあ、色々な出会いがありますよ。年度末にはまた社内で移動があるし、希望があるならどんどん出して言ってください」
食事がほぼ終わるころ、ゲーム大会が始まった。
司会を引き受けた塚田さんや西村さんが場を盛り上げ、ゲームを当てた人達に次々と商品が渡されていく。
学生時代にもクリスマス・パーティをやったことはあるが、ここまで大人数でのパーティに参加するのはアメリカにいた時以来だ。なんだか懐かしい思い出がよみがえってくる。
そんな時に、私の耳にふとこんな言葉が飛び込んできた。
「ねえ、聞いた?営業三課の移動」
「まだ正式に発表になってないんでしょう?」
「でも山崎さんが昇進するのは内定が出てるんだって」
「ああ、やっぱりね。多分そのためにヘッドハントされたんだろうね」
「あの人、淡々と仕事するタイプだから、揉め事とかは減りそうだよね」
「分かる。もうフィールド・セールスとの諍いも止めて欲しいよね」
山崎さんが昇進。
私と社歴が4か月しか違わない山崎さんが昇進。
くやしさがこみあげてきた。
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年末も過ぎ、年があっという間に明けた。その頃から、速水が突っかかってくるようになった。どうやら、次の人事異動で私が一階級あがるという噂を聞き、上司に直訴したようだ。
「入社歴が四か月しか違わない山崎さんが管理職候補で、自分が考慮していただけないのに納得がいきません。
これからの企業は若い人にチャンスを与えないんですか?年齢とは関係なく、上に立つ能力がある人が管理職をやるべきです。
若くて才能がある人が埋もれているなんて、何のためにこの会社に入ったのかが分からなくなってきます。
能力だけではない。やる気があるかどうか。それを考慮に入れていただけないのはどうしてでしょう?」
このようにして何度も課長に対して熱弁を振るっていた。
今の時代、この意見も珍しい事ではないのだろう。周囲を見渡せば、速水と同世代の20代半ばの人達がどんどんベンチャーを立ち上げ、CEOに就任していることも珍しくない。
ある日、私は課長の杉崎さんとワン・オン・ワンのミーティングをした。
「山崎さんももう一年になりますかね。すっかり慣れた様だけど、その後どうですか?」
「ありがとうございます。一年通してやってみると、現地の担当の方々の性格や仕事の進め方も分かるようになって、やりやすくなってきましたね」
「そう!前職も同業界でしたものね。仕事のピークや流れを知っている人は、こちらも安心して仕事を任せられるわ。
来期だけれども、あなたにチームリーダーを任せたいと思っているの。率直にどう感じるかしら?」
「チームリーダーですか・・・速水さんは考慮に入っていないんですか?あれだけ昇進にこだわっていらっしゃる方ですし。それに、私はもう少し現場の仕事をしたいと思っているんです。せめて後一年ぐらいは」
「速水さんね・・・彼女は入社時から管理職希望ですからね。こちらも期待していたんですけど、普段の彼女の仕事ぶりからして、今の所彼女は管理職の候補にはなっていません。
自分から仕事を覚えようとしたり、PCの機能を自主的に覚えようとはしていないようですね?自主性に欠ける人はこちらとしても考慮に入れることはできないんですよ。
学生時代にアメリカンフットボールのサークルのマネージャーをやっていたので、大勢の人の管理ができる、と言っていますが、結局は事務職の実務は退屈なものだとも言ってるんです。
管理職になれば彼女は自分のポテンシャルを最大限に生かせるとも言っていますが、肩書とポジションを与えて、いきなり人は変わるものかしら?遅刻や居眠りも収まるのかしら?
言葉も少なく、周囲の人間と良好な関係が築けない。チャットでのコミュニケーション能力にも欠けている。
管理職になると他のセクションとの調整も必要になってきますが、今の彼女を見ている限りだとチームリーダーのポジションは安心して任せられないですね」
「こんなにお聞きしてしまって良いのでしょうか?」
「あなただから言っているんですよ。もちろん他のスタッフへの他言は控えて欲しいですが」
「年若い管理者には私も周囲も慣れているし、速水さんがリーダーになるのには特に異存はないのですが。本人が仕事をやる気になってくれれば、思い切って任せるのもいいのではないでしょうか?」
「まあ、そうは言うものの、どうしても不安要素がぬぐえないですからね。ポジションを与えて初めてやる気になるというケースもあるのでしょうが、普段の就業態度から見ていると不安がぬぐえないと言うか。
山崎さん、あなたならもう少し大人の態度で他部署と渡り合えると思っています。ですから、昇進の事、しっかり考えておいてください」
その2月、私は会社から正式に辞令を受け、チームリーダーのポジションに着くことになった。元々私達のチームリーダーだった山瀬さんがマーケティングに移動になることを受けてだった。
その年辞令が出たのは私を含めて五人。
フィールド・セールスのチームリーダー、吉田さんのシドニー転勤に伴い、三浦が一階級昇進して新しいチームリーダーとなった。
また同じ部門の塚田がシンガポールに転勤となった。噂話では婚約を解消して一人でシンガポールに向かうらしい。
それとほぼ時を同じくして、速水が退職願を提出した。
課長と長い事話し合いが持たれていたというが、もうすでに次の仕事が見つかっており、出来るだけ早い日付で退職をすることを希望していると言う。
三月初めの金曜日、営業全体とフィールド・セールス、そして速水の同期が全員集まって彼女の壮行会を開いた。
彼女の好みの焼酎の美味しい鄙びた居酒屋で、集まったのは総勢20名。
魚料理の美味しいこのお店で、次々と料理やお酒が運ばれてくる。ツブ貝のお通しに始まり、ホッケの開きやコハダの刺身。ブリ大根やタラと白菜の鍋などが並び、森伊蔵や白玉の魔王、村尾などの美味しい焼酎が宴を彩った。
上長からのお言葉があった後、速水本人からの言葉が皆に向けて発せられた。
「ここにいると、自分は伸びないと思うんです。
次は、日本の製品を海外に輸出する企業の総合職で、管理職になるべく働くことになっています。
日本には世界に誇れる製品が沢山あるのに、それをアピールできていない。
西陣織や岡山デニム、江戸時代の箪笥や螺鈿の家具。新進気鋭のデザイナーによるミニマリストのデスクやチェア。日本が誇る匠の仕事には枚挙に暇がありません。
今の時代、海外の製品にばかり触れていても仕方がない。海外の物を有り難がるのは過去の時代の物だと思うんです。
それよりも日本の誇るコンテンツを海外に発信していきたい。自分が誇れるものを海外の人達に知ってもらいたいんです。
それだけじゃない。業務の効率化推進や時間管理、産休や育休に入る社員の管理、部署内での売り上げの管理や、人を雇うということそのものに携わっていきたいんです。
現場の仕事だけじゃない。もっと会社の中核である管理の仕事に携わっていきたいと考えています。
短い間ではありましたが、皆さまにはご指導をいただきありがとうございました。
これから今までよりももっと大きなフィールドで活躍していきますので、今後も引き続きお付き合いの程どうぞよろしくお願いいたします」
壮行会でこう言い切った彼女に、フィールド・セールスの面々が大喜びで歓声を送った。
私と小林はあっけに取られて速水の言う事に耳を傾けていた。
輸入ではなく、輸出をやりたかったのか。
仕事は、やってみて初めて、自分は他の分野に興味を持っていたことが判る場合もある。速水の場合はまさにそのケースだったのだろう。
日本という国をもっと世界にアピールしたい。日本にある素晴らしいものを世界に広めたい。
これは現代の若者に共通していることだと思う。昨今のメディアも日本の素晴らしさをアピールし、外国人がいかに日本文化に興味を持っているかを取材している。そこにビジネスチャンスは眠っているだろうし、それを掘り出していくのもこれからの日本の在り方だろう。
それはそれで素晴らしい事なんだと思う。
まだ若い速水のことだ。これからどう成長していくかは分からない。もしかしたら本人の言っている通り、もっと大きなフィールドで活躍することになるのかもしれない。
これも彼女なりに考えた結論なのだ。
現代の20代の感覚からすると、速水の言っていた内容はごく普通の発想なのだろうか。頭をいくら絞っても、納得できる答えは見つからなかった。
しかし、あれだけセクションを挙げて教育したスタッフが一年で去ってしまうのを見るのは寂しいものだった。
輸入品を扱う事の楽しさや世界の製品に触れられる楽しさを、私達は速水に伝えきれていなかったのかもしれない。速水がもっと仕事に興味が持てるよう、もっとできたことがあったのではないか。私達は自問自答した。
しかし仕事の楽しさは、本人が見出すしかない時もある。誰かが仕事の楽しさを何度語ってみても、それが相手に伝わらなければもう致し方ない事だ。管理職を目指していて、現場の事に関心が無かったのであれば、新天地を目指すのもまたありなのかもしれない。
ここでもしかしたら育ってくれるかもしれない人が入ってきてくれた、と期待していた私達は落胆を隠せなかった。本来は、速水の門出を祝ってあげるのが筋だった。
しかし、受け止める準備が出来ていないあの最後の発言を聞いた直後の私達は、残念ながら通り一遍の挨拶しかできなかった。
管理職になりたい。速水のその願いはここの会社ではすぐには叶えてあげることが出来なかった。個人の資質にもよるが、新天地に行けばまた何か変わるのだろうか。
速水の最終出社日がやってきた。
デスク周りを片付けた彼女は、社内をあいさつ回りした後、入社当日と同じ明るい笑顔で課長と私と小林に最後の挨拶をすると、颯爽としてエレベーターホールへ向かった。私達は速水の後をついて、ビルのエントランスまで一緒に行った。
足取りも軽くエントランスまで来た彼女は、満面の笑みを浮かべて、こう言った。
「お世話になりました!皆様もお元気で!」
ほんの少しの疑問と、ほんの少しの応援の気持ちを持って、私達は会社のエントランスを大きな足取りで出ていく速水の嬉しそうな姿を見送った。
こうして、私達が待ちわびていた新人スタッフは、管理職になるために私達の目の前から消えていった。
(完)