11/10 映画アメリカンサイコが僕にくれた諦観
アメリカンサイコという映画のネタバレを含むので未視聴の方は注意。
感想という名の自分語りです。
研修が実務に近い本格的な内容になったため平日の負荷が増えてきた。
そして先週までずっと土日は何か用事があって忙しかった。特にレコーディングは神経を使うし、3-4時間ボーカルブースに篭って歌うので体力も使う。
今月から在宅勤務が可能になってかつレコーディングやらコピーバンドやらも一区切りついたのでようやくにブログを書く精神的エネルギーを持てるほど暇になってきた。
しかし実際のところブログを書く原動力となるのはネガティブな感情である。つまり今私はヘラっています。
コロナで引きこもりがちだった修士の頃と比較すると圧倒的に精神的には健康なはずだがダウナーな日がなくなったわけではない。頻度こそ下がったものの、嫌な思考に支配される日はある。
何をしてもつまらない、満たされないという感覚から逃れる手段はなんだろうか。
ゲームをやっても、映画をやっても、美味しいものを食べても、誰かと楽しい時間を過ごしても、その後の虚無感が抜けない。何か悲しい。
どうしたらいいんだろうか?
昨日アメリカンサイコという映画を観た。
主人公ベイトマンはあらゆるステータスで最高クラス。若くして成功し、学も、金も、優れた肉体も全てがある。客観的に見たら成功者である。
それでも彼は自分の社会的ステータスに不満を覚え、周囲に適合しながらもその上位でありたいと願い、それが満たされないときは破壊的欲求に支配され殺人を犯す。
終盤には現実と虚構の区別がつかなくなって破綻する。
1980年代アメリカのヤッピーという人々を皮肉る映画らしいがこれがなんとも刺さった。いや、僕に心地よい絶望を与えてくれた。
ベイトマンほどの成功者でも満たされないことがあるのかと感心した。
ベイトマンと比較して社会的成功の度合いは僕の方が圧倒的に低いが、どこまでいっても満たされることがないのだろう。それが人間なのかも知れない。
僕が大好きな某女性歌手もまた、夜な夜なインスタのストーリーでメンヘラかましている。
ここ数年で大ヒットを連発し、自分の曲が街のあらゆるところで流れているような成功者でもどこか満たされていないらしい。
つまりは僕なんかが満たされなくても当然なのだろう。
人間の基本的な欲求であるところの三大欲求を恒常的に満たせるようになってもきっと不満は消えないだろう。
物質的、社会的欲求もまた然りであろう。
奇跡が起きてバンドが売れたり、順調に会社で出世したりして、何不自由なく暮らせるようになったとしてもこの感覚は拭えないんだろうなと諦観している。
苦しいね。どうしたらいいんだろうね。
アメリカンサイコのおかげで久しぶりに良いインスピレーションを得られ、作詞メモが潤った。
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