キッチンと生物実験室に寄せる遺書
*
空は群青でなくてもいい。
わたしははだしでその土を踏みしめる。
足の裏になまぬるさを感じながら摘みとったエンドウの、
連鎖する形質をわたしがひと呑みにする。
核酸を腹の中で煮溶かしてみずからに組み換える。
食道を通り抜ける豆の死骸は不完全に火葬されていて、
わたしをつくりかえながら完全燃焼。
(燃えさかる炎のなかわたしはいかにして自らをあぶるその火を絶やさぬようにするかを考えている)
袋詰めの死をむさぼれ
たとえばわたしたちがみずからの意思に全能性を見出すとしても
この袋から逃れられはしない
赤い実のジャムの瓶を開けたら白い器にこぼれた、
いつの間にかジャムは腐っていたようだった。
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マリグラヌールの名は、わたしのなかで、
しずかに しずかに消えてゆくだろう。
かれらはストロマトライトをつくれない。
「コドン(あるいはアンチコドン)はここにある(というのは本当だろうか?)。
エキソンとイントロンを見誤ってはならない。」
——科学者の授業は特筆して詩的ではなかったがレベッカの死因とそのうつくしく白い骨についての講義は大変興味深かった。
レベッカは数十年前に肺炎で死んだ女性で、生前に決めたことを律儀に守って、年頃の生徒たちに、その 漂白されたうつくしい骨格 を晒していたのだった。
わたしたちは彼女の名前と死因と骨の白さ、それからその脚部の骨を留める金具と糸が老朽化していることしか知らずにいる。
生涯にわたり死を呑み続けるであろうわたしも、やはりひっそりと死ぬだろう。
死因はこの世に生を受けたこと。骨は晒さない。
***
《翡翠の雨が降る頃に、わたしは下水道のいちばん汚いところに降りて砂金を探すのです。
その姿を見ていてください。
ただ見ていてくださればいいのです。
おろかなわたしが瑪瑙のみずたまりに倒れ込むまで。
(そのときわたしの衣ははじめて色を持つでしょう)
その色をどうか忘れないでください、
あなただけが知るわたしの色を、
わたしから溢れ出した挽歌の色を。》
****
白い器に滴った赤いジャムはやはり腐っていた。
そういえばわたしも、腐ったジャムの瓶の中から生まれてきたのだった。
翡翠の雨と瑪瑙のみずたまりはどうせ博物館のレプリカだし、レベッカの骨はいつかバラバラになるけれど、
明日もわたしは朝食に豆のスープとジャムを塗ったトーストを食べよう。
*****
いつかスープのにおいが途切れたら、夏を絞殺してください。
(2011/3/8)
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