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私とテニスボール <自己紹介シリーズ>

裏の農道

私も小学生になり、行動範囲も少しだけ広くなった。

ある日の休日、クラスの同級生のTくんとNくんが遊びに来てくれて、
私の家の周りを散策した。

家の後方に農道があるのだが、その横に小川が流れていて
小川と農道に沿って私たちはブラブラと散策をした。

私は小学校1年生の頃から自転車に乗れていた。
それで、何度かその農道を自転車で通ったことがあったので、
ある意味安心できる道だった。

と言っても、自転車で通ったのは学校から帰宅してからの夕方の時間帯だったため、辺りが暗くなるのが早く、ある程度進むと引き返して、あまり遠くには行かなかった。

その日は三人だったので、気が大きくなっていたのか小川の小魚を見つけたり。車に轢かれたであろう死んだヘビを見つけたり。農道の隣の田んぼのあぜ道をとおったりして、どんどん進んでいった。

休日の昼下がりで、まだまだ辺りは暗くならない。引き返す理由もなく、さらに私たちは農道をどんどん進んだ。

そのうち、小学校の校区外にまで来てしまった。田舎なのでそれなりに校区は広いのであるが、なにぶん私の家が境界線に近いので校区外に行くことは十分にあり得るのだが、親以外とその地に足を踏み入れたのはこの日が初めてだった。
そこは校区内・ホームグラウンドとは違った雰囲気で、知らない土地だからだろうか、少しだけ異様な空気を感じたのを憶えている。

校区外をいいきっかけとばかりに私が「引き返そう」と言うと、戻るのも疲れるし、そうしようかということで合意がとれたのだが、Tくんが同じ道を帰るのはつまらないと言い出し、別の道をとおって帰ることになった。

ただ、ここは土地勘が無く迷ったら困るので、一度、国道沿いまで歩いて行き、それから国道に沿って帰るということにした。国道であれば車で通ったことがあり、何とかわかるだろうという理由だった。

天満神社

私たちは国道があるだろう方角に歩いて行った。
田舎なので、周りの建物はまばらで、隙間からところどころ車の行き交う姿が目にはいるので、ある程度の方角は目星がついていた。

国道が目と鼻の先の位置に差し掛かった時に、少しの安心感なのか、
左側に神社があるのをTくんが見つけた。

そこは、私も七五三か何かで父に連れられてきたことがあるのを思い出した。思い出したと言っても来たことがあるというぐらいの記憶しかなかった。

私たち3人はお参りをするではなく、なんとなく神社の方に誘われていった。

神社の本殿は国道に面しており、通常はこちらから鳥居をくぐって、神社の敷地に入るルートになっているが、私たちは側道側にある少し暗がりの道をたどって神社へ向かった。

神社につくと、そこは「天満神社」という菅原道真を祭神とする神社であった。太宰府天満宮と同じ系譜ということらしい。周りには高い木がたくさん生い茂っており、昼間といえども、敷地内は薄暗い感じだった。

それでも、子供の私たちには知らない世界のように感じて、
私たちは神社の境内を散策することにした。

テニスボール

本殿側に進むと、アーチ状の石の橋があり、その先に手水舎が見える。
橋の下には幅4メートル程度の泥水とも、沼ともわからないような池が8の字の形のように橋を中心に左右に分かれていて、とても綺麗とは言えない水面であった。腐葉化した落ち葉もたくさん浮いていた。

ふと、Nくんがその左側の沼(神社から見ると右側)の水面にテニスボールを見つけた。
3人のうち「もう帰ろう」などの比較的ネガティブな発言が多いと感じていた私は、ここで余計な強がりを発揮し「ボールをとってくる」と言い出して
石の橋を渡り、Uターンしてボールの近く沼に入れそうなところ探した。

ボールの近くまで来ると私は沼のへりに立った。
そろりと右足を一歩沼に近づけて少し踏み込む。歩けそうだ。

念のためもう一度踏み込んでみるが、足にそれなりの感触が跳ね返ってきた。
次の瞬間、私は沼の真ん中にあるボールに目掛け、走り出した!

難なく走り終え、右手でテニスボールを掴んだ。

その時だ!

右足が沼に沈み始めた。これはまずいと思い急いで振り向くが、その力みもさらに足を深みへと沈めていく。右足を抜こうと、左足に力を入れるが、右足と同じ深さへ左足も吸い込まれていく。

それでも私はもがいた。しかしどうにもならず、徐々に体が沈んでいく、手で泥を掻こうとするが、一向に前には進まない。

”これ死ぬかも”

と思ったときに、Tくんが助けにきてくれた。
沼のへりから手を差し伸べる。私も手を伸ばす。しかし届かない。

”ダメだ・・・”

と思ったときに、Nくんも助けに来てくれた。
TくんとNくんが手を繋ぎ、Tくんは一歩分、沼に足を踏み入れた。
そうして、何とか手を伸ばしてようやく私の手を掴むことができた。

私はTくんの手を支えに、必死に沼を歩いた。
2,3分たっただろうか、徐々に体が浮き上がり、私は瀕死の思いで沼から這い出た。

疲れで、私はそのまま地べたに寝転んだ。

「危なかったな」とTくんが声を掛けてくれた。Tくんを見ると右足が靴下ぐらいまで泥で汚れていた。

そのあと、腰まで泥で汚れた私を見たTくんとNくんは学校で話すいいネタができたと思ったのか、ニヤニヤ笑っていた。

掴んだはずのテニスボールはいつのまにか、また沼の真ん中に戻っていた。

かくして、遊びを続ける状況ではなくなったので、私たちは家に帰ることにした。

帰りは、元来た農道を戻っていった。気を使って人目につかない道を選んでくれたのだろう。

家に帰って母に報告すると、まったく怒らなかった。
ただ、泥まみれのズボンと下着を洗濯機に入れる前に
お風呂場で洗いなさいと言われた。

お風呂場でズボンを洗うと、思いのほか泥が多く、
お風呂場も泥まみれになって、結局お風呂掃除までした。

ふと、Tくんも洗濯大変なんだろうかと思いながら、
わたしはTくんとNくんに感謝した。

菅原道真

あとで、天満神社の祭神の菅原道真を調べたのだが、
意外といわくつきでおどろいた。

菅原道真は朝廷でそれなりの地位にあったが、謀反を計画したとして大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後怨霊と化したと考えられ、天満天神として信仰の対象となる。

Wikipedia

さらに、右大臣の道真が左遷されたときに左大臣だった藤原時平や、宇多上皇の面会を取り次がなかった弟子の藤原菅根や、変わって右大臣となった源光など、不慮の死にまたしても驚く。

延喜8年(908年)に藤原菅根が病死し、延喜9年(909年)には藤原時平が39歳で病死した。これらは後に道真の怨霊によるものだとされる。延喜13年(913年)には右大臣源光が狩りの最中に泥沼に沈んで溺死した。

Wikipedia

いや、ほんと死ななくて良かったです。




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