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信長・秀吉・家康と日本刀
今回は戦国三英傑とも呼ばれる「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の三人と、日本刀に関して記載していきます。
この三人は全員愛知出身という共通点もありますよね!それでは見ていきましょう!
カリスマ性の「織田信長」と名刀「義元左文字」(よしもとさもんじ)
青年時代は奇抜な服装や言動から「尾張の大うつけ」と呼ばれていましたが、有名な桶狭間の戦いで、各上今川を倒し、鎌倉幕府の足利を追い出します。また、長篠の戦いで最強と謳われていた武田の騎馬隊を破り、天下人の道を行きましたが1582年に本能寺の変で明智に討たれ、49歳で亡くなります。
信長の名刀「義元左文字」(よしもとさもんじ)は「宗三左文字」(そうざさもんじ)と知られ、桶狭間の戦いにおいて今川義元を打ち破った記念として、織田信長が今川義元の刀を取り上げたもの。
天下統一「豊臣秀吉」と名刀「骨喰藤四郎」(ほねばみとうしろう)
織田信長に仕えていて、最初は雑用役をしていましたが、長篠の戦などの城攻めが評価されて、出世。唯一農民から天下人になりました。
秀吉は名刀コレクター
豊臣秀吉の死後、骨喰藤四郎は「大坂夏の陣」で大坂城と共に焼け落ちたと信じられていましたが、のちに傷ひとつない姿で発見され、徳川家康に召し上げられました。「明暦の大火」で焼け、焼身となったものの再刃(さいば:もう一度火を入れて作り直す)され、現在は豊臣秀吉を祀る「豊国神社」(京都府京都市)に所蔵されています。
江戸幕府将軍「徳川家康」と名刀「日光助真」(にっこうすけざね)
信長の説明の際に出てきた今川のもとへ人質として下り、幼少期は駿河の国で過ごしました。大きな戦功もなく、武将として揮った人物とは言い難い徳川家康でしたが、有力で忠義深い家臣団の助けもあったことから、徐々に頭角を現していきます。
秀吉の死後大きな役職に就き、豊臣側の石田三成達に関ヶ原の戦いで勝利し、江戸幕府を成立させました。
天下人として数多くの名刀を所持し、愛刀家だった家康。
彼の愛刀は「日光助真」(にっこうすけざね)。
刀鍛冶加藤清忠の息子、加藤清正(夜叉丸、虎之助)から紹介された刀工「一文字助真」(いちもんじすけざね)の手による太刀。
死後、徳川家康を祭神として祀る『日光東照宮』に納められている。