その日はいつも通り。いつも通りに眠っていたら「えーう」と言いながらソイツは現れた。俺に飛び込んできて、嬉しそうにしていた。 汚かったそいつを風呂に誘導し、勝手を教え着替えを渡し風呂に入れた。 寝起きだったが頭をフル回転させた結果、なんなんだ。だりー。という結論に至った。 お風呂からあがりさっぱりしたソイツが、部屋に戻ってきてしれっと膝の上に座った。 怪異ではあるが「えう、えう」とうなずいたり腕を広げたり首を横に振ったりして、悪意の無さを伝えてきた。酒臭かった。 どこに居てもい
こんにちは、汗が止まりません 久しぶりに労働をしました 2日連続で、1日目は友達が何人か来てくれたし常連さんにも久しぶりに会えて嬉しかった。焦りながら、大丈夫って何回も心の中で唱えながらも、楽しく働けたし、労働時間も延ばしちゃったりして。 2日目は大好きな銭湯に行って気合いを入れたけど、お湯を浴びるといろんなことを考えて、昨日の仕事の振る舞いが異常じゃなかったかなとか渦巻きながら。 友達との予定をドタキャンしてしまったからそれもモヤモヤして。 水風呂に入るとめっちゃ「いぇ
毎朝目が覚めるたびに「ここはどこだっけ」と思う。 転々といろんなところで寝ているから。 目が覚めて10秒くらいするとどこで寝たのか昨日は何をしたのか少しだけわかる。全部は知らない。 隣に誰かいればわかりやすいんだけど、一人だとエッとなってしまう。私は実家に慣れていないから。ここは私の部屋じゃないから。と思い込んでいるので、一瞬病院なんじゃないのかと勘違いする。 昨日はとーちゃんの誕生日と母の日のお祝いを一気にした、久しぶりに実家に戻るのはマジ超腰が重かった。私は今実家住みな
私どうやっても生きていける 今までなんとか何やっても生きてきた 私は他人の心配を糧に、力を借りて、人間をやる 何死だろうと不安になることはない。私は生かされてる。電車でゾンビが満帆にいても「キャー!ゾンビ!イヤイヤ!いや?いやなのか…?ああ、終わった…やっと終わった」と思えば良い 最後は痛くて苦しくて悲して寂しいのは全員同じだ それまでただ生存していればまだ許される
じゃあ死ね!と言われた。 今まではなんでも良いからとにかく生きて、安心させてそれから死なせて と言ってくれていたのに わがままが過ぎた ショックだった。父の口から「死ね」という言葉を聞いたのが生まれて初めてで、向けられたのが自分だったからびっくりした。 最近の父ちゃんは自分の死を察知していてなんかヤダ もう無理もう無理無理無理無理!と親の前で泣きながら駄々をこねた。死にたいなんで生きてるの?終わらせよう!なにこれ?なんのゲームなの?と、駄々をこねた。「じゃあ死ね」よりも酷
4月が来た。去年の4月から1年経ったということになる。多分気のせいだろって思うけど、一旦考えてこれはジョークじゃないな…?と察する 随分と暖かくなって私はもう眠る時に布団はいらない。 目的地がない散歩をしている時は漫画みたく「てくてく」って音がする。散歩上手の証拠だ。 桜が咲いている。咲いていると思ったら全然咲いてない場所もある。心の中で(ここは何分咲きだな…)と、満開度パラメータが動く おしゃれにめっぽう興味がない。でも確かに可愛いスニーカーとか靴下だとちょっと嬉しい、
ここ一年近く従兄弟と過ごしている。 小さい頃は自分の実の兄よりも私に優しい従兄弟のお兄ちゃんの事が大好きだった。 過ごしているというのは、遊ぶ事以外には食う寝る帰る話す 事をする。 出不精の二人なので大体働くか部屋で時間を過ごすかだったけど、初めのふたりとも時間を持て余してた期間はプラネタウムを見に行ったり、動物園に行ったりして日々の鬱憤やら気分やらを他の何かの感情に変換した。理想のお兄ちゃんだった。 気分が乗らなくなった頃には家でだらだらテレビをみて過ごした。私は毎日凄い
今日は嫌な日になるだろうなと思ってたけどそうでもなく、良いことがふたつあったから忘れないようにしたい。 今日は引っ越しの日だった。 片付けも完璧に終わっていないし、引っ越しの荷物をまとめるのが本当に苦手だということを再認識した。嫌だとかじゃなく、下手だから困っちゃう。 シェアハウスに住んでいたのだけど、自分の部屋の荷物を運び終えて満足して共用スペースにある食器やら調理道具のことをすっかりと忘れてた。 ダリー、どうしよう、どんくらいあったかなぁとか考えながら帰った。運よく段ボ
生理って実は少しだけ尊い 感傷的になるけどプラスな感情が働いてくれることもある あとめっちゃ下痢便が出る 家族のグループラインが出来たのは多分4年前くらい お父さんが正月は帰ってくるのかという話題で、私たち子供の名前を全員漢字で書いていた。私の名前の漢字がかっこいいのはとっくに気付いてたけど、お兄ちゃんとお姉ちゃんの名前の漢字もかっこいいんだ。って気付いた こう、音とかもいい。語呂的な意味で音がいい。 自分の名前が好きだ、なんかこう、音とかがいい。 ピアノを弾くようにキーボ
先日友達の誕生日祝いを兼ねて箱根旅行に行った。箱根湯本にも観光にも行ってないのでユネッサン旅行か 友達がロマンスカーのお尻の方の展望席を取ってくれて、凄くテンションがあがった。電車では前の車両からの景色の方が好きだったけど、今の私は後ろの席の、景色が離れていく視界の方が心地よかった。右も左も前もガラス窓になっていてどこを眺めたらいいのかわからないくらい開放的だったし「あ~~~れ~~~」ってなんか思った、首の襟つかまれて引きずられてるような。行かないでーみたいな。移動してるから
私はひどく傷つきやすいタイプだと思う。小さい頃は家族に「自分の言うとおりにならないとぐずる」とされド末っ子気質だったが、いつからかぐずることを辞めて悲しむことにした。 でもたまに自分に向けられた他人からの行動や言葉に対して、は!?となる時がある。なったもののそれも時間が経てばどうでもよくなる。苛立ちも咎めもなく、そのうち自然に消えていく。 人には別に筋なんか通っちゃいない お互いに波もあるし、その上あくまでも他人で、感覚も思考も自分のものじゃないのだから違っていて当然で、仕方
今はもうない。 文章を書くのが好きだ。だって小説みたいに適当なこといっても許されるから。小説家は大体適当だ、相手に意味を探らせようとするのが趣味だから刺さる名言なんてたまに出ればいいだろう。でもファンを持つことはなんのジャンルでも素敵な事だと思う。 でもガキ坊の私はある程度何を書いても許されるから書き進める途中で何かわからなくなる。あれ何が言いたかったっけ?どんなフレーズをいれたら自分は満足だったっけ?って だから短い話にする 私は小学生の頃、いや幼稚園生の頃からかも。泣き
ついにどうでもよくなってしまった。同じようなことが27回起きるとどうでもよくなるらしい。 と、いいつつこうやって形にしようとするのは完全にどうでもよくなった訳ではない証拠なのかもしれない。誕生日というイベントと、この先にある自分に期待をしたくないだけなのかもしれない。 私は他人の誕生日を覚えてしまう癖があるので「おめでとう」と伝えるけど、逆の立場になったときおめでとうと言われて「なにおめでとう言う?」と思ってしまいそう な価値の無さげな 1年だった。1月は新年あけましておめで
これはなんだかちょっといい話だよ、私が私で良かったと思えた話。 銭湯に行った帰りに煙草が吸いたくなったけどライターが見当たらなかった。 職場に戻ってバーナーでつけるかと思い歩いていたら、絶対にこの人ならライター持ってるだろみたいな感じの人が歩いてきて、一歩通り過ぎてから戻って「ライター持ってますか?」と声をかけた。 「んえ?ああ…つくかな…」とポケットの中をあさってジッポを出して、何回か着火を試みるが付かず。その場でオイルをめちゃくちゃ手にこぼしながら入れてくれた。 え!?
こんばんは。お体には気を付けてくださいね。 みなさんは最近どうですか? 私はどうかしちゃったみたいで、感情が理解できないことが増えた。自分のも相手の事も。私は自分の感情が揺れ動くときに、わー生きている!と感じていたのでここの所死んでいる。それでも生活の中で笑ったり泣いたりはしているので厳密にいうと、笑ったり泣いたりがどうでもよくなっちゃったのかもしれない。これが季節のせいだといいなと思う。 大好きだった恋人に振られたときも、もちろん悲しかったけど、大好きだったわりには泣か
はー、凄かった。 先日友達夫婦の家にお邪魔した。しばらく会ってなかったので赤ちゃんを見に凸った。ローン組んで買った家に遊びに行くのも初めてだった。テレビ通話では見たことあったけど、生をみるのは初めてで既に二本足で大地を踏み、よたよたではあるが1人で歩けるようになっていた。それだけで感動した。 学生時代の友人で、クラスもコースも違うのにそれでも仲良くなったきっかけが、ただ同じ喫煙所によくいるからという理由だった。というか私はほとんど学校に行っていなかったし行っても何故か他の科