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今年一年ありがとうございました!
あと数時間で今年も終わります。
最後に何を書こうかと考えた時、父の生い立ちを聞いたことを書こうとして書いてないことを思い出し、書きます。
生まれて50数年、なかなか父と真剣な話をする機会がなかった私ですが、
今年、大阪での法事がおわって泊まったホテルで父が急に話始めました。
父は9人兄弟の8番目として、父母よりも兄姉に育てられた。永井家は小島家と一緒に富士の麓、須山から御殿場の杉名沢でてきた。(それは父の父だもしくはもう一代先代かもしれない)そして、醤油や味噌の製造で知られるようになり財を成した。
父は子供の頃、兄弟が多いことから父と母から育てらるよりも兄や姉に育てられました。小さい時は、親戚付き合いをはじめどこにも連れて行ってもらえず嫌な思いをしました。よく 兄貴の嫁には意地悪された。睡眠薬をいれられたり、何かを盗ってないかポケット調べられたり。そのことで、子供時本家にはあまり行かなかった。
私は子供の時よく東京に連れてきてもらいましたが、背景を初めて知った。電車に乗るのはとても楽しみだった。(子供の時は電車がとても好きだった)
御殿場には須山から多く永井家が分家して出て行った。ある永井家は薬局経営者なり、彼らの娘は有名な歌手になりました。また ある家は 建設会社を立ち上げ、最終的には初代市長にもなった。
さて、父は頭がそんなに良くなく農業高校に進学した。学科に鳥科と牛科があり鳥科を選んだそうだ。父は草や花にも詳しい。山などに散策して知らない花を見ると、母は父さんに聞いてと言った。運動神経はあまり良くなかったそうだ。
高校卒業後 父は新聞配達をしており三輪車でくばっていた。
ちょうど朝鮮動乱の時 いずみそという大きな味噌屋の若旦那が色盲で免許が取れないことから 父が代わりに大豆を買いに清水まで行っていた。
その後、これからはテレビの時代だと思い、横浜に嫁いだ姉を頼りに 父は川崎に行く。テレビ学校に入学するために、新聞配達の仕事をしながら学費を稼いだ。実家からの送金などなく、住み込みで学校にかよった。住込は飯付きで三千円、配達は一回三百円もらえたそうだ。朝4時と午後3時に配達。川崎駅で新聞を受け取り東芝の本店や支店に配送した。その卒業後、国際電気に就職。
若い頃のよく無茶をしてたらしい。ある時友達と三輪車で伊豆へ行った時には、車を崖から落としてしまい、家裁に行き免停3ヶ月をくらった。
免停中も、味噌屋の大豆の買い付けは味噌屋の社長を隣に乗せて清水まで行っていた。
さて、父が母と出会ったのは、父の姉の嫁ぎ先のおばあさんの紹介で、その後結婚に至った。実は 母の実家は、車を崖から落としたところから数百メートルしか離れていなかった。
私が幼少期から実家では多くの動物たちが飼われていた。
犬をはじめ、チャボ、インコ、亀、金魚、めずらしいところだときじやウサギ、たぬき、そしてカラスも飼ったことがある。そして蜂。
動物たちの小屋は全て父作。なので家の周りにはいつも多くの材料があり、父はそれらを使って様々なものを作っていました。いのししを狩る大きな罠を作ったこともあった。養蜂は今でもおこなっている。子供の時は夏は蜂蜜を回収するのが行事だった。巣から取り出した巣枠を撹拌機で蜜を絞り出す、蜂の怒り一差しをいつも喰らっていた。痛かった。
さて、父は若い頃から雲梯んしていたので 車の運転には自信をもっている。そして 人の運手にはとても口うるさかった。少しでもギアチェンジが遅れると『遅い!』と母を怒鳴っていた。
先日 宮崎駿のドキュメンタリーで人の運転に口うるさいことをプロデューサーの鈴木敏夫さんが話していた。同世代ならではのこだわりなのかもしれません。そして このことを聞いた時にすこし父の行動を正当化できた。
さて、この生い立ちを聞いた後、
大阪での法事で永井家のルーツをたどる予定だった。
永井家は高槻にある永井神社に起源を持つとのこと。その歴史的な背景の観劇もあったが もう一つその神社を訪れた時の驚きがあった。さきほど最初にはなした同じく須山から出てきた「小島家」その小島家の名前を配した「小島神社」が同じ境内に。これらの出会いはまさに脳天に衝撃!
ほんとに 歴史が繋がっている実感がしました。
その永井神社がある 高槻市には次女が嫁いでます。御殿場から高槻に帰ってきたことなのでしょう。
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さて、最後になりますが
今年一年、多くのことを学び、成長しました。
これもひとえに読者の皆様の支えがあってのことです。来年もより良いブログをお届けできるよう、努力して参ります。
皆様、本年は大変お世話になりました。来年もどうぞ宜しくお願い致します。
GYU