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【リズムの王様】 タンゴの歴史を変えた"リズムの王様" - フアン・ダリエンソ

タンゴシーンに多大な影響を与え続けた伝説的な演奏家

ファン・ダリエンソ(Juan D'Arienzo)

 
今回は、彼の初期の活動から、音楽の特徴、そしてタンゴに対する哲学までをご紹介します。


1.若き日のダリエンソ:1920年代


1919年、まだ10代後半の頃から、劇場での演奏活動を始めたダリエンソ。当時、第一次タンゴブームの中、フランシスコ・カナロ、ロベルト・フィルポ、オズバルド・フレセドらが活躍する中、Ángel D'Agostino(ピアノ)と共に小規模な劇場で演奏活動を展開していました。

1928年には初の録音を実施し、40曲ほどを残しています。この時期、後年の特徴的なスタイルはまだ確立されていませんでしたが、低音バイオリン(cuarta cuerda)による感傷的な演奏スタイルという、後のダリエンソ楽団の特徴の萌芽が既に見られていました。


2.タンゴを「足に返した」革新者


1935年、ダリエンソは停滞していたタンゴシーンに革命を起こします。それまでのタンゴが複雑化し、聴かせる音楽として進化する中で、彼はピアニストのビアジと共に原点回帰とも言える「電撃のリズム」演奏スタイルを確立。これがダンサーをフロアに誘いかつ興奮を生む音楽でした。


3.タンゴに対するダリエンソの哲学

1949年のインタビューでの言葉が、彼の哲学を端的に表しています:

「私にとってタンゴとは、なによりもリズム、力強さ、個性です。古いタンゴ、グアルディア・ビエハ(古き良き時代)のタンゴにはそれらすべてがありました。我々はそれを失わないように努めなければなりません。」

彼の音楽哲学の核心は:

  • リズムと踊りやすさを最優先

  • 歌手より演奏を重視(「人の声は楽団の一つの楽器に過ぎない」)

  • タンゴの男性的な特質の重視

  • エリート主義的な複雑化への反対

  • 聴衆を楽しませることの重視

この哲学は、晩年まで一貫して保持され続けました。


4.時代による変遷:4つの重要な時期

1. 革命的な第一期(1935-1939)

革命的な転機となったのは、ピアニストのロドルフォ・ビアジとの出会いです。キャバレー「シャンテクレール」での有名な逸話があります。ある夜、いつもより遅れて到着したダリエンソは、ビアジが演奏する「9 de Julio」の斬新なリズムに観客が熱狂する様子を目の当たりにします。それまでビアジの自由な演奏を制限していたダリエンソでしたが、この反応を見て、新しいスタイルを受け入れることを決意したのです。

ビアジの「魔法の手(Manos Brujas)」と呼ばれたピアノによって、楽団は以下のような特徴を確立します:

  • 一定の速いテンポ

  • 4拍子の強いマルカート(強調)奏法

  • ピアノによる絶え間ない装飾的フレーズ

  • 低音を多用した特徴的なバイオリンソロ

  • 予想外のリズム効果

1936年、新設のラジオ・エル・ムンドでデビューを果たしたダリエンソ楽団は、より大きな編成となり、その人気は急速に拡大していきます。1938年末にビアジが退団する頃には、トロイロ、カナロ、ロムート、フレセド、フリオ・デ・カロといった名手たちがしのぎを削る中で、ダリエンソはすでにブエノスアイレスの夜の王者となっていました。

2. 成熟期の1940年代

1940年、楽団は大きな人事刷新を行います。バンドネオン奏者のエクトル・バレーラが編曲責任者として加入し、フルビオ・サラマンカがピアノを、カジェタノ・プグリエーシがファースト・バイオリンを担当することになります。

  • より洗練された音楽性

  • テンポがやや落ち着き、表現力が増した

  • ダイナミクス(強弱)の対比を効果的に使用

  • フルビオ・サラマンカの特徴的なピアノ

  • バンドネオンのソロが特徴的なこの時期限定の要素として加わる


3.完成期 1950年代初期

1950年、楽団は再び大きな変化を迎えます。バレーラが自身の楽団を結成するために退団し、編曲は pianist フルビオ・サラマンカが担当することになります。

  • より速く、より輝かしいサウンド

  • パワフルな演奏スタイルへの回帰(1930年代)

  • 1940年代の表現的な繊細さを残しつつ、力強さを強調


4. 晩年期 1950年代後期〜

1960年代になると、ダリエンソは時代の変化に応じて、より現代的な要素を取り入れていきます:

  • より現代的なハーモニー処理

  • 弦楽器セクションの増強

  • レガートの低音線の多用

  • シンコペーションの先取り

しかし、彼の基本的な信念は最後まで変わることはありませんでした。
1975年、死の一年前のインタビューでこう語っています: 「もし演奏家たちが2/4拍子の純粋さに立ち返れば、我々の音楽への情熱は再び花開くでしょう。現代のメディアのおかげで、世界的な優位性を獲得できるはずです。」


5.ダリエンソ 音楽性のヒント

ダリエンソの音楽は大きく分けて前記の4つの時期で音楽のアレンジが違います。同じ題名でも録音時期でその音楽の聞こえ方が違います。
その違いを楽しめるとよりダリエンソの深みが見えてくるでしょう

そして普遍的には
次のことに注目すると音楽の特徴がより見えてくるでしょう。

  • 時計のように正確なテンポ

  • 鮮明な4拍子のマルカート

  • 感情的なバイオリンの「クアルタ・クエルダ」

  • ピアノの輝かしいフレージング

  • 予想外の息をのむようなパウゼ(休止)

  • フォルティッシモ(強音)での力強いエンディング



6おわりに

1920年代の若き演奏家から、タンゴ界に革命を起こした1930年代、そして晩年まで、一貫してダンスのための音楽を追求し続けたダリエンソ。彼がタンゴにもたらした影響は計り知れません。

エミリオ・バルカルセはファン・ダリエンソを

「D'Arienzoの音楽を聴くと、気が散ることは不可能です。彼はあなたを常に警戒させ、注意を払わせ、次に何が起こるのかを待たせます。何かが起ころうとしていることを、あなたはいつも知っているのです。当時、私たち音楽家は彼のことを理解していませんでした。でも今では、以前よりもずっと彼を評価しています。最初は彼が重要だとは思っていませんでしたが、実際はとても重要な存在だったのです。」


ダリエンソの「タンゴは何よりもまずリズムである」という信念は、今日のミロンガでも、多くのダンサーの足を通じて生き続けているのです。


Abrazo
GYU


追記:興味深いエピソード:昭和天皇との逸話

ダリエンソの人気は世界的なものでした。
その中でも特筆なのはタンゴ愛好家として知られた日本の昭和天皇からの招待を断ったエピソードです。昭和天皇は白紙の小切手を送り、来日を要請したといいます。しかし、飛行機恐怖症だったダリエンソは、飛行機、船での40日間の航海も嫌がり、最後には潜水艦での来日提案まで断ったそうです。


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