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80年代(特に後半)アイドルつれづれ

昨年末に亡くなったミポリン(中山美穂さん)のことを書きたいと、ずっと思っているのですが(本当に今でも信じられない、悲しい)……
いろいろ考えていたら、彼女と近い時代に活躍していた80年代アイドルの話をまず書きたくなりました。


突然ですが、昭和末期に子ども時代を過ごした方々。
「家族で歌番組を観ながら、親のアイドルdisに耐える」
って経験ないでしょうか。

まぁアイドルが出てくるとまず親は「歌が下手」とこき下ろすこと。
光GENJIとか出ると、軽い地獄(笑)
歌下手だな、なんでローラースケート履いてる、転びまくってるぞ、どうみても口パクだ、、、
エンタメに興味がなかった父もツッコまずにいられないほどでした。まぁあれは、私がもし当時大人でもそうだったでしょうが。

好きじゃなくても、周りで人気のあるアイドルがこき下ろされてるとなんだか悲しい気持ちになるもので。でも親と一緒にdisってアンチになったりね。
結果私はアンチ光GENJIで「男闘呼組」派でした、というのは余談。

私の母は優しい人なんですが、なぜかアイドルには辛辣でした。
母にかかると、明菜ちゃんも「歌が下手」だそうで。
「歌は下手だけど衣装はとても素敵。きっとおしゃれの好きな人なんだろうね」
というのが母の明菜評でした(DESIREの衣装とか絶賛)……

母というか当時の大人の頭には、厳然たる「歌唱力」の基準があったのかもしれません。私はいまだに「歌唱力」ってよくわからないのですが。声と雰囲気のよさだけで、いいなーと思ってしまうので。

CS放送で「歌謡ポップスチャンネル」という局があって、それでたまに昭和の歌番組の再放送をやっていまして。「夜のヒットスタジオ」「レッツゴーヤング」「ザ・トップテン」などなど。
それで以前、79年とか80年くらいの「夜ヒット」を観ました。私は生まれているけど、記憶はない時代です。
ざっと観た印象、その回がたまたまだったのかもしれませんが、演歌の人も多くて、なんだか皆すごく「歌謡曲」だなと思いました。

「歌謡曲」とは何ぞや、ですが。あくまで私の思う雰囲気です。
専業作家の作った歌で。
シンプルなステージに歌を引き立てるシンプルな伴奏、振りもあるけどあくまで歌メインで、激しく踊ることはなく。
歌いはじめと歌い終わりには、お辞儀。
そんなイメージ。
当時のアイドルで言ったら、岩崎宏美とか柏原芳恵あたり?

母が求めていたのは、こんな感じだったのかな。


私が歌番組に目覚めてきたのは、86年あたり。
上に書いた80年頃の「夜ヒット」を観て、随分違うものだと思いました。
何か、私の知ってる時代はもっと「J-POP」だったぞ? と。

1986年年間ベスト100なるものの上位を見てみると。
kUWATA BAND(サザン休止中に桑田佳祐さんがやっていたバンド)、チューブ、渡辺美里、オメガトライブ、安全地帯、「CHA-CHA-CHA」の石井明美……
間に入る明菜、少年隊、チェッカーズなどアイドルも含め、歌謡曲というより「J-POP」でした。(チェッカーズは、歌謡曲調から自作のロックに移る転換期だったかも)

J-POPという言葉が生まれたのは、88年だそうですが。でもこの頃から、確実にその芽が出ていた気配が。


これに近い時期デビューしたのが、「アイドル四天王」こと中山美穂・工藤静香・南野陽子・浅香唯でした。

歌唱力でいえば彼女たちは、聖子明菜と比べると物足りなかった。
しかし当時、圧倒的な人気。歌唱力では測れない魅力があったのだと思います。最近よく使われる言葉でいうと「説得力」でしょうか。
尾崎豊とか、歌が上手いかどうかは別として、代わるものがない存在感、説得力があると言われてますよね。
中山美穂と工藤静香は特に、歌が下手とかいろいろ言わせない、気迫にも近い説得力がありました。

80年代後半は、下手かもしれないけど何かいいんだよね、というアイドルがたくさんいました。
斉藤由貴、菊池桃子とか。
当時子ども心に「さすがにこれは」と思ったけど、でも何か良いんですよね。近年またスポットを浴びています。もちろん可愛かったのが大きいけど、絶対それだけじゃない。

ちなみにキョンキョンこと小泉今日子は明菜と同じ82年デビューですが、なんとなく聖子明菜より、ミポリンとかと一緒に括りたくなるんですよね。
キョンキョンも美穂、静香に近い「歌唱力より説得力の人」だと思うから。

工藤静香は、子どもが聴いてもかなり独特な歌い方でした。でも引き込まれてしまうんですよね。
地元の不良の先輩みたいな、その色っぽい存在感に。。(ミポリンもだったけど、10代であの色っぽさは尋常じゃなかった。今だといろんな意味でありえないかなと思います)
あと、純粋に曲がよかった。秋元康・後藤次利コンビ、中島みゆきから楽曲提供を受けていました。

「憧れの不良の先輩枠」というのはもっと昔からありましたよね。
代表的なのは、三原じゅん子でしょうか。私はリアルタイムでは知らないんですが。山口百恵はちょっと違ったのかな。

明菜も初期(「飾りじゃないのよ涙は」より前くらいまでは)はその路線でした。
実はこの継承者はミポリンだったんですよね。
「ビーバップハイスクール」でマドンナ役をやっていたし、歌も最初はツッパリ(←死語ですね)路線だったし。
でも割と早くにその路線を脱し、それを引き取った(?)のが静香だった。


でも唐突ですが実は私の推しは、ナンノこと南野陽子さんでした。

割と大人っぽい好みだった私ですが、この中では保守的なイメージだったナンノちゃんを、なぜか好きになりました。なんでだったんだろう?
好きと嫌いに理由はないものですが、やっぱりスケバン刑事が大きかったです。

鉄仮面をつけたまま育てられた少女。17歳で初めてそれが割れ、現れた姿は絶世の美少女だった――その美少女麻宮サキは、ヨーヨーを武器に悪と戦う。
そんなトンデモ設定を必死で演じる、凛としたナンノちゃんに心惹かれました。

当然、ヨーヨーを投げる練習もしました。
本来垂直方向に投じるべきヨーヨーを、いかに水平方向に投じるか。

(このヨーヨー ↑ は鎖なので無理。私が投げていたのは普通の紐のヨーヨーでした)

アンダースローだと、けっこううまくできるんですよ。
でも麻宮サキと同じフォーム(テニスのバックハンドみたいな感じ)で投げるのは大変。ナンノちゃんを目指して突き指しそうになりながら、日夜特訓したものでした。



……話がそれた💦

きっちり歌を聴かせる「歌謡曲」の世界とはだいぶ違ってきた、J-POPや80年代後半アイドルの世界。
私はそれにはまって、母は不満だったということ。

自分の好きなものを母が気に入らないのは、悲しかったけど。
この頃の大好きなアイドルを思い出しながら、あのすれ違いはなんだったんだろうな、といろいろ考えながら書きました。

親元を離れてちょうど30年経つので、今ではそんなやり取りも懐かしいです。

めったにありませんがたまに一緒に歌番組を観ると、今でも母は明菜ちゃんと福山さんには必ず文句を言います😂(福山のこともなぜか気に入らないらしい 笑)……


ミポリンについてはほとんど語れなかったので、また改めて。


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