身体は意思の奴隷じゃない
「とにかく重い重量でがむしゃらに追い込んで、
空腹時間ができないようにとにかくたくさん食べて、
それ以外の時間はカロリーを無駄にしないようにとにかく眠る。
そうすれば今ガリガリの君でも大きくなれる。
身体とはそういうものだ。」
という迷信がある。
映画やドラマで「女ってやつはな。。。」と見当違いなことを語るおっさん並みに、主観に傾倒していて、本質を見ようとしてない発言に思える。
実際、一生懸命取り組んでるはずなのにあんまり成果が出てない人もいる。
身体は僕たちの意思の奴隷じゃない。
自分の身体を奴隷のように扱ってはいけない。
自分とはどこまでを指すのだろうか。
脳か、身体か、あるいはもっとスピリチュアルな心のようなものか。
一つ一つの細胞は生きている。
毎日個々の細胞は死んだり、生まれたり、代謝している。
じゃあ、この自分を構成する細胞達は自分なのだろうか?自分の一部が死んで生まれてを繰り返しているということなのか。
さらに言えば、細胞同士が補完しあい、足りない部分は体内の細菌と助け合って生きている。特に腸内細菌はなくてはならない存在で、身体を支える大きな要素の一つである。では、腸内細菌は自分の一部だろうか?
僕たちはどこからどこまでを自分と認識していて、どこまで自分を大事にできているだろうか。
すれ違う人の姿勢、歩き方、体内に入れるものの選び方、余暇の過ごし方、そういう場面を見ていて、
”生まれた時からニコイチのぬいぐるみの足を持って地面を引き摺り回しているようだ”と残念に感じることがある。
その身体はあなただけに与えられた、あなたしか理解してあげられない、手入れ次第で最高にも最低にもなる乗り物であり、パートナーだ。
身体はがむしゃらにトレーニングすれば大きくなるような人間が作った都合の良いゲームじゃない。
肉を体重の2倍食べれば身体の中で洗濯機みたいにぐるぐる混ざって身体が大きくなるとか、空腹で走れば身体の中で花火が上がって脂肪が燃えて痩せるとか、そんなマジカルボックスじゃない。
みんなこのボタンを押せばここが反応しますっていうゲームとか、家電とかの人工物に慣れすぎて、身体が自然の産物だということを忘れてしまっている。
魔法なんて幻想に期待せずに、僕らの身体を構成する一つ一つの生きているパーツに向き合って、日々観察して、対話して、初めて自分が何なのかがわかる。
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