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[移住編]鹿児島で帰る場所を見つける旅にいく② ~イルカゲストハウスとの出会い~
全国の餃子を求めてどこまでも… GYOZA JOURNEY ことカタオカマナミです!
生まれ育った街・東京を離れ、今いるさいたまの家をセカンドハウスにして約4年。
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歩いてすぐのところには、田畑が広がり見沼代用水が流れている。水路沿いは、これからの季節桜が満開になり、ランナーや犬の散歩に人気の道だ。少し向こうには、さいたまスーパーアリーナがある新都心駅付近のビル群も見える。
鹿児島に移住するぞ!
って決めたのは、世界を狂わせたコロナがきっかけ。誰がいつ死んでしまうかわからなくなり、日本が、世界が不安に包まれた2020年春。『明日死ぬってなったとき、今日までの人生で後悔したくない!』って思った。(大袈裟かもしれないけど本気で思っていた)
そのとき、ひとりの人物を想い出した。あるゲストハウスのお母さんだ。
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私が”お母さん”と呼ぶその人は、鹿児島にある「イルカゲストハウス」にいる。きっかけは屋久島。2014年、屋久島にいく前にお世話になった日が初めての宿泊だった…と思う。
それ以来、毎年のように泊まりに・・・いや、帰りにいってる。
屋久島はもちろん、鹿児島にこんなに何度も行くことになるとは思いもしなかったし、こんなに出会いが広がるとは思ってもいなかった。
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私の中の鹿児島がはじまる場所
イルカゲストハウスに泊まり、夜はお母さんと飲みにいったり宿でごはんしたり。お母さんと一緒に過ごし、付き合っていく中で、鹿児島のことがどんどん好きになった。
景色と、人と、食べ物と、自然と、価値と・・・さまざまなものに引き合わせてくれたのは、まちがいなくイルカゲストハウスのお母さん=田之畑明美さんだった。
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コロナが流行したとき『お母さんがいなくなったら嫌だな』と想うようになり、まだまだ鹿児島で見つけたいものがあるはず!って気付き、鹿児島に移住をしようと思えたのだった。
『おかえり』『ただいま』があるおうち
鹿児島空港からバスに乗り、市役所前で降りる。
鹿児島にいくとまっすぐ寄り道もせず、イルカゲストハウスへ急ぐ、お母さんの『おかえり』を聞きに。
私は、元気に『ただいま』という。
また、大きな荷物とともにイルカゲストハウスをでるときは『いってらっしゃい』と送ってくれる。
そんな私の鹿児島のおうちは、しばらくはイルカゲストハウスなのかもしれない。
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つづく