お年頃な私を取り巻く最近のこと
私は結婚していないし、現状もうしないと思っている。故に、基本的には今後子どもを産まないことも必然と考えているし、そのことを特に悲観的に受け取っていない。
が、周りからは憐れまれていたり、ちょっと変?に思われているのも薄っすらと感じる。それを気に病むことはないが、気にはなる。
人生何が起きるか分からないので、今後結婚することになっても子どもを産むことになっても、それは喜ばしいことだし、未婚で子どもを産む可能性だってないとはいえない。
ただ、現状を鑑みると、未婚で子なしの未来が一番有力であるという話だ。
友達の多くは三十前後で結婚した子が多かったので、三十半ばの今、少子化という割には友達の出産が多い。
コロナ禍の昨年も例外でなく、無事生まれたと嬉しい報告を何人からも貰えてとても嬉しかった。
そしてつい最近も友達が「○月○日何グラムで生まれました~!」と可愛い新生児の写真を添えて報告のLINEをくれた。
産まれたてとは思えぬぱっちりお目目、あの○○(友達)がとうとう母か!と、感慨深いものがあった。
ちょうど会社のお昼休み、あまりの嬉しさに隣の席のおじさんに「見てください~!友達の赤ちゃんです~!可愛い~~~!」と見せたら、ポツリと
「こんな報告、嫌味に取らないで優しいんだね」と言われた。
え?これ嫌味なの?は???
そんな了見の狭い女じゃねーわ!独身女がなんでもかんでも僻むと思うな!と憤慨した。
まあそれを了見が狭いと考えるのはよくないか。世の中には、出産報告を嬉しいと思う人ばかりではないことも確かだ。
しかし現時点で、自身が結婚していないことと彼女の出産は全くの別問題と考えており、とても嬉しい報告だった。
「結婚したいのにできない私に出産報告なんて当てつけだ」とモヤモヤする人がいてもおかしくないし、子どもが出来ず悩まれる方には、嬉しいけど向き合うのが辛い報告かも知れない。私の気持ちだって今後どう変化していくか分からない。
そう感じることも、報告した方も悪くはない。
報告する子に嫌がらせの意図はない。喜びを共有してくれているだけ。
もし「嫌味」と感じたなら、今置かれている状況や気持ちを共有していないからだろう。
子を持つ持たない持てない、結婚するしないできない等の繊細な話題はいくら友達とは言え話しづらい場合もあり、知らなくて当然とも思える。
それを「察してほしい」は正直難しい。
「私も産んだから次はあなたね!」とでも言ってきたなら配慮が足らないと感じるかもしれないが「生まれたよ!」に他意はない。
逆に出産の裏では色々あったかもしれないけど、それを共有する必要もないし、話したければいくらでも聞く。それでいい。
何を考え、何を誰に話すか。それを決めるのは自分。誰もが他人の人生にとやかく口出しする権利も必要もない。
未婚だと、結婚しないのかと問われ。
結婚したら、早く子供作らなきゃね!と言われ。
第一子を生んだそばから、一人っ子じゃ可哀そう、二人は欲しいよね。
女の子(男の子)が生まれれば、次は男の子(女の子)だね!
あ~~~うるさいうるさい!一部当事者じゃない私が聞いてもうるさい。
転職したての頃、別部署の方に初めてお会いした時「餃子さんお子さんはおいくつ?」と聞かれたときにはたまげた。私、いつの間に結婚してたの?
会話のきっかけのつもりだろうが、結婚さえしていないという回答にとてつもなく気まずい空気になった。せめて、結婚しているの?から聞かない?そもそも私は初対面の方にそれさえ聞かない。
他にも「え?独身?離婚したの?」と聞かれたこともある。
どうやら私の年齢では「結婚していない」ことは信じ難いようだ。
ただ基本的に、こういう会話に悪気がないのも分かる。
でも残念ながら悪意がなければ何を言ってもいいわけではない。言うのも勝手だが、仮にそれを許してもらえず不仲になっても仕方のないことだ。
言うのも勝手なら、許す許さないも勝手だから。
何事も間違っていたり、傷つけたりしたのであれば「謝る」必要はある。でもそれに許しが必ずしも伴う必要はない。
それを忘れてはいけないと思う。
これは、結婚や子どもの話に限ったことではない。
人それぞれ嫌なことや悩みは違うし、許容出来る範囲もそれぞれ。
私自身気にしすぎる性格なのもあるけど、こんなこと言われて嫌だったんだよね、と聞くことも結構あるので、気にしすぎかもしれないけど私はこれからも気にしていく。
そんなんじゃ何も話せないじゃん!と思う人もいるかもしれないが、そんな個人的なことを話さなくたって、外では桜が散り、葉桜が青々としはじめ、なんでも話すことはあるよと言いたい。
おわり
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