毒親育ちが今更タコピーを読む

初めから「毒親モノ」と知っていので避けていたのだが、「チェーンソーマン2部はタコピーを意識してる」とのことなのでチェーンソーマンの理解を深めるために読んだ。

○私の親は過干渉の方なのでしずかちゃんの境遇は物語の設定として受け止めることが出来た。

○さすがにあの状態の子供が1人で生活していて行政などの手が入らないわけない。初めはそう思っていたが、小学生の頃両親が全然家に帰ってこない同級生がいたことを思い出した。身なりは普通だったが、常識や道徳を学んだ経験がなく悪気なく敵を作る子だった。「両親が存在しない」わけではないから保護の対象にならないのだろうか。

○個人的には東くんの方が感情移入できた。「もう好きに生きなよ」と突き放すやり方、とても身に覚えがある。「親の期待に応えられないお前に非がある」と言われたら子供は信じてしまうのだ。「自分の子育てが間違っているんじゃない」と思い込むためだけに、子供という他人の人生を歪めることは許されない。

○私の長兄は「兄がいなかった東くん」である。優等生で運動もできたが、長男というだけで親のサンドバックになった。高校生あたりから、頑張ることをやめ他人の顔色や言動に過敏になり生きづらさを抱えた。絵も歌も上手くて朗らかな兄は、両親のストレス発散によって殺されてしまったと今でも思っている。
次兄や私が東くんの兄のように励ましてあげられればよかったのだが、私達も親から殴られないようにすることしか考えられなかった。
 
○タコピーの罪は相手のことを理解せず、自分の物差しで行動したこと、「話すこと」を怠ったことという解釈でいいのだろうか?「この道具を使えば全てが解決!」なんてことはありえない。しかし現実で毒親のことを話すと「家出しちゃえば」「思いっきり怒って泣いて、自分の気持ちを伝えなよ」「大人になったらすぐ家を出ればいいんだよ」等中途半端なアドバイスが返ってきた。不正解なわけではないが、それで救われることがないと分かっているから苦しんでいる。私は毒親育ちの集合概念じゃない! そう思っていた。

○そもそも生まれた時からその環境にいるので「解放された」という成功体験がない。本当に困っているのに役所で福祉の相談や手続きをしない人の気持ちが少しわかる。しずかちゃんやまりなちゃんの親もそうなのだろう。児相や弁護士が来たら何?元の生活は絶対返ってこないじゃないか。そこで思考停止してしまうのだと思う。

○結局「タコピーがいない世界でなんだかんだ収まっていく」のがリアルだ。ドラマチックな救済などない。生きていくうちに何とかなる可能性もある。そんなものだと思う。

○「そんなもんだよ」と大人になった今なら思えるが、しずかちゃんと同じ小4だった自分にとっては何の慰めにもならない思う。当時の自分はタコピーがいてもまりなちゃんのような似た境遇の子がいても東君の兄のような善人がいても「だから何?」と思ってしまうだろう。過去の私はどうやったら楽になれたのか、今でもわからない。


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