大学時代の友人から聞いた話です。 彼が東京の会社に入社した平成元年。本社で研修を受け、帰りに同期入社の人たちと食事に行ったそうです。その後もう一軒行こうということになったところ、帰宅する人が数人いた。 京都に4年住んでいた若き総帥は 「何を言ってんだ。来いよ」 と誘おうと思い口を開こうとした。すると、他の全員が 「あ、そう。お疲れさ~ん」 とスタスタ二軒目に向かったそうです。 関西ではこういう場合に、帰る人がいてもとりあえずは引き留めるのが当然です。いわ
僕が福岡県大野城市に住んでいたころ、団地によく押し売りが来ました。 家にやってきて、扉を開けたが最後、何かを買うまで帰らない。 一度わが家にも来ました。 たしか「花を買ってくれ」だったと思います。 血の気の多い泉下の父が、一時間くらい大げんかして、追い返しました。 それを見て小学校1年生だった僕が 「気の毒だから、花くらい買ってやれ」 と父に食って掛かり、ここでも大げんかになりました。 今より少し、僕が優しかったころの話です。
福岡県大野城市立大野小学校の1年生だった1973年(昭48)の4月。 1年1組では、係決めがありました。 先生が希望を取り始める。 「けいじ係になりたい人はいますか」 不肖は慌てて手を上げました。 「ハイ、僕がやります!」 そのままめでたく就任となりました。 「ああ、うれしい。『刑事係』なんてカッコいい。クラスの誰かが誘拐されたら捜しに行く係だな、きっと」 心からの快哉を叫びました。 その後1年間ずっと、みんなの描いた絵や習字の半紙を壁に貼り続け
男が歩いていると 「お題はあなたのお孫さんにつけます」 というレストランを見つけた。 さんざん飲み食いして店を出ようとすると、店員が 「100ドルいただきます」 男が 「孫につけるとかいてあったじゃないか」 と食って掛かると、店員は 「さようでございまます。あなた様のおじい様のお代をちょうだいいたします」
飲んだ帰りの電車の中。 上機嫌の僕の前に、二十歳前くらいとおぼしきお兄ちゃん二人が乗り込んできました。 耳には数え切れないほどのピアス。 大声で話していたので、車内の耳目は自然と彼らに集まります。 早い話が、行儀の悪い連中でした。 周りの白眼視も何のその。どうも武術に興味があるらしく、両人は技を掛ける真似まで始めました。 「こうやって技を掛けたら格好いいねんで」 などと言いながら、片方が動きだしたんです。 さて、どうしたものか。 乗客の皆が迷惑している
「愛児への便り」 海軍大尉 植村真久 命 神風特別攻撃隊大和隊 昭和19年10月26日 比島海域にて戦死 東京都出身 立教大学卒 25歳 素子、素子は私の顔を能く見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。素子が大きくなつて私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。 私の写真帳もお前の為に家に残してあります。素子といふ名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるやうにと思
批判精神おう盛だった子供のころの不肖は、「占い」というものに極めて懐疑的でありました。 子供のころ住んでいた福岡県大野城市の国道3号沿いに、今でいうところのファミリーレストラン「ファンタジー」という店がありました。 卓上によく、占いを買うことのできるプラスチックの壷のようなものがありました。 そこに100円を入れたら小さなカプセルが出てきて、中に占いの紙が入っている。 「○○座のあなた、きょうは勝負運が良い」 と書いてあると 「じゃあ、○○座の人同士が将棋
後出しジャンケンのようで嫌なのですが、事実だから書きます。 あるいは僕は、ノストラダムスの上を行く人間かもしれません(笑)。 江川問題「空白の一日」についてです。 不肖が住んでいた福岡を本拠地とするクラウンライター・ライオンズと江川選手との交渉権が切れるのは、1978年(昭53)ドラフトの前々日。そのことをスポーツ新聞で知った、小学6年生の僕は、こんなことを思いました。 「なんで前日じゃないんだろう。なぜ一日空くのだろう。その日に巨人と江川が契約したら、どうなる
大阪府民です。
あるとき阪神なんば線で西九条まで出た不肖は、JR環状線に乗り換えようと自動券売機に120円を入れました。 ところが。最後の10円玉を入れてもチャリーンと戻ってくる。何度やっても入らない。15時34分の外回りに乗らないといけないのに、32分ごろから10回くらい同じことを繰り返しました。 1000円札も使えたし、財布には100円玉もあった。時間もない。 なのにこういうとき変にムキになってしまうのは、我ながら偏屈だとは思います。 「悪いのは券売機か10円玉であって、僕
生まれて初めてパソコンを買った1996(平8)年当時の不肖は、パソコン通信「ニフティーサーブ」を楽しんでいました。 そこに情報交換のためのページがありました。 「○○の入場券を譲ってください」 「子犬をあげます」 「××市近郊での草野球メンバー募集」 などといった項目が並んでいました。 開くと詳細が書いてあり、連絡先に応募するというサービスだったんです。 題名の横に数字が出ていて、閲覧した人の数が分かるようになっていました。少なければ1ケタ、多いと100
小学生のころ買ってもらった図鑑の昆虫の巻に「ハンミョウ」という虫が載っていました。とてもきれいで心を奪われました。 福岡県大野城市の大野小学校3年生の子供会の遠足で、たぶん四王寺山(旧筑紫郡内の小学校では遠足目的地の定番)あたりに行ったのでしょう。 そこでハンミョウを捕まえました。 拙宅に連れ帰り、大喜びで虫かごから出して遊んでいました。 ところが目を離したすきに、いなくなったのです。 あちこち閉め切っていましたから、外に逃げたとは考えにくい。ふて腐れた不肖は、
残念なことに、子供の理科離れが顕著そうですね。 大野小学校3年2組の級友が読んでいた学習参考書に、カブト虫の捕まえ方が書いてありました。 「夜のうちに木の幹に蜂蜜を塗っておこう。朝になるとカブト虫が集まっていて、捕まえることができるよ」 心を躍らせた不肖は午後8時ごろ、ナイターを見ていた父を引っ張り出し、近所の立木へ。幹に蜂蜜をたっぷりと塗りたくりました。 さあ、翌朝。布団から出るのももどかしく、僕は木に向かって突進しました。黒い何かがうごめいているのが、遠目
息子が小学校2年生だったころのお話。 翌日の算数で使うということで、コンパスを買いに行ってまいりました。 文具売り場でめでたく購入してまいりました。 「めでたく」と書いたのには理由があります。 記憶する限り、不肖が生涯初のお使いに買ってくるよう頼まれたのは「洗濯糊」でありました。 福岡県大野城市の県職員住宅400棟に住んでいた不肖は、意気揚々と出掛けました。 歩いて3分の「青木商店」通称「あおきみせ」へと着いた不肖。 おばちゃんに「不肖君、何を買いに来
【電車】 京橋に用があり、電車を待っていると、珍しく京橋止まりの電車が来ました。 「無駄がないね、運がいいね」と喜んで写真を撮っていたら、乗り損ないました。